(有賀久子)
細貝萌、涙の引退会見〜浦和レッズのために素晴らしい結果を残すことが出来なかったこと、今でも申し訳ないなという気持ちでいる
質疑応答が始まると、最初の質問から泣いていた。
細貝萌と決断の時、そこにはいつも涙があった。2010年、レバークーゼンへの完全移籍が決まり、大原サッカー場で会見に臨んだ時も、晴れ晴れしい時間であるはずが、「浦和でなかなか良い結果を残すことができなかった。決断は苦しかった」と何度も泣いていた。その姿を、つい思い浮かべてしまった。ただ、きょうの細貝は少し違っていて、選手としての引退会見で見せた涙と、クラブを預かる者としての責任を背負った明瞭な思いと言葉が約つまっていた。
きょう11月12日(火)午後、細貝は、前橋市富田町にある、5月に新設されたクラブハウス内で会見を開き、2部構成とし、第1部は引退会見、第2部は社長代行兼GM就任会見を行った。
プロキャリアの始まりは浦和レッズで、最後は地元・群馬に戻り、ザスパ群馬で4年間プレーし、プロサッカー選手としてのキャリアに幕を下ろした。今後はすでに、2025年2月1日付で同クラブの社長代行兼GMに就任することが決定し、来年2025年4月の定時株主総会で承認されたのちに、代表取締役社長兼GMとなる予定と発表。
まず、細貝が歩んだ20年間がどんな時間だったかと問われると、「2005年にプロサッカー選手になってから、2024年シーズンで、20シーズン目というところで、今思えば、あっという間に20年間経ってしまったな、というような思いでいます。僕自身は、プロサッカー選手を夢見て、小さい頃からずっとサッカーをやってきて、その中で、たくさんの方に支えてもらって、たくさんの方が、自分のことを気にかけてくれて、本当に幸せな20年間だったなと思っています。この20年間、サッカーが、自分に与えてくれたモノはすごく大きくて、自分の人生の、ほとんどのモノをサッカーが自分に与えてくれたなと思っています」と涙声で話した。
レッズプレス!!は、浦和レッズサポーターの存在やサポーターたちが作り出すスタジアムの雰囲気の中でプレーした経験について話を聞いた。また、涙、涙だった。
「2005年に前橋育英高校を卒業して、浦和レッズという、日本でもビッグクラブに入団させてもらったことで、プロサッカー選手がスタートしました。やはり、あの、たくさんの方々の前でプレーしたいという気持ちを持って浦和レッズに加入させてもらい、そこからヨーロッパに行く前には、日本代表とかには入っていたものの、浦和レッズのために素晴らしい結果を残すことが出来なかったこと、今でも申し訳ないなという気持ちでいます。それでも、今でも、若い頃からの自分のことを知ってくれている方々がメッセージだったり、今回の引退に関しても、たくさんのメッセージを頂き、本当に素晴らしい時間だったな、と。自分が思っていた以上に、たくさんの方に支えてもらった6シーズンだったなと思っています」
「ヨーロッパに行くまで、浦和レッズというクラブしか知らなくて、そこから、たくさんのクラブを渡り歩いてきましたけど、やはり、あの環境でプレーさせてもらったこと、間違いなく、あの6シーズンが、その後のサッカー人生で、サッカー選手として戦っていく中で強くさせてくれたクラブだと思っています」
細貝は、1986年生まれの38歳。浦和レッズで挙げれば、森脇良太(愛媛FC)、興梠慎三、梅崎司(大分トリニータ)が、2024シーズン限りで選手から離れることを決断した。ここまで、それぞれのクラブで戦えたこと。どんな誇りをもって、プロサッカー選手として過ごしたかを尋ねた。
「たくさんの素晴らしい選手たちに囲まれて、僕自身も、恵まれたことに日本代表でも活動させてもらう時間があったので、世界各国で頑張っている日本人選手、もちろん、海外の選手を含めて、ここ最近は、やはり引退する選手たちが、すごく身近な選手だったりするので、名前の出た同世代の森脇だったり、慎三だったり、梅崎、当然、みんなとやりとりもしていますし、他にも、少し前で引退したので言えば、岡崎慎司だったり、引退とはちょっと違いますけど、本田圭佑だったり、電話でも話をしています。ああいう選手たちがいてくれたからこそ、僕自身も頑張れたと思うので、常にそういう選手たちが、いろいろなクラブで頑張っている姿を見て、自分は“これじゃあ、いけないな”と、毎回のように、いつも毎試合、毎試合、毎週、毎週、感じることが出来たので、これも自分が頑張ってこられた1つの理由だなという風に思います」と答えた。
1人、また1人と、選手生活に終わりを告げる選手たち。まだまだ選手としての活躍を見続け、声援を送りたいという気持ちが募るが、いつだってチャレンジし続ける、本田のような者もいる。細貝も、次はクラブのトップに立つ。お疲れ様でした、という言葉と共に、ザスパ群馬での、今後の活躍を心から応援したい。第2部の会見については、また改めてコラムにしようと思う。
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