(有賀久子)
森脇良太、あす11月3日 プロキャリア最後のホームゲームへ
レッズプレス!!が初めて森脇良太に取材したのは、浦和レッズ入りが噂されている時期の2012年12月、Jリーグアウォーズだった。その1ヶ月後、2013年1月、森脇はチームの一員として、埼玉スタジアムのボールルームにいた。
同じ1986年生まれの興梠慎三、経験豊富な那須大亮や関口訓充、そして明治大学を卒業してトップチームに戻ってきたアカデミー出身の阪野豊史と、5人揃っての加入会見に臨んだのだが、記憶に刻まれているのは、森脇の独演会だ。11年経った今も、意気込みや移籍の決意よりも、あの時の“新居探しの車移動。大雪に見舞われての立ち往生”が思い出される。
浦和で7年間、森脇はチームの中心で、常に戦っていた。
太陽のように明るく、ポジティブで、何でも笑顔で受けとめる森脇は、森脇良太の一部であって、周りの表情や感情に敏感で、“楽しんでいる?”“満足かな?”と気配り、気遣いを絶やさない、この表現では足りないぐらいの、細やかな心の持ち主だ。「まだ、話しているの?そんなに話しても、記事になったのを読んだことがないぞ」と、いくらチームメートに言われても、最後の質問まで、丁寧に、表情豊かに答える森脇に、当時の番記者たちは何度も救われただろう。
何よりも、プロサッカー選手として、森脇良太は巧い。
チームメートが口を揃える言葉であり、森脇のパスは、攻撃のスイッチだった。興梠が「アイツがいるだけで(ピッチは)落ち着く。動き出せば、パスが出てくる。それを信じて走るだけ」と厚い信頼を寄せるほど。移籍組がまず驚くのも、森脇の技術の高さであり、毎日の練習に取り組む全力姿勢であり、そこに人柄も重なって、彼を慕う仲間は、どんどんと増えていった。
その後、京都サンガF.C.で2年、2022年には若い時代を過ごした愛媛FCに復帰し、3年。愛媛ではJ3優勝を遂げ、個人成績はJ1、J2、J3全カテゴリーで優勝を経験した。その背景には、浦和でのACL、天皇杯、ルヴァンカップ、スルガ銀行チャンピオンシップといった数々のタイトルや、その年の年間1位の勝ち点を重ねながらも、シャーレに手が届かなかった1年間など、多くの経験を携え、若い選手を引っ張る、リーダー的存在になっていった。
2024年9月、2024シーズンを最後に、選手生活を終えると発表した。興梠の引退発表から1ヶ月、まさか引退が同じタイミングになるとは。あす11月3日(日)、森脇は、愛媛FCでの、プロキャリアとしての最後のホームゲームを迎える。どんな表情を見せるのか。どんな言葉を残すのか。どんなプレーを見せるのか。
レッズプレス!!は、現地で目撃することを決めた。
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