back

REDSニュース|「サッカー人生は幸せだった」「このクラブには可能性がある」FC岐阜・柏木陽介引退会見 |レッズプレス!!

top
「サッカー人生は幸せだった」「このクラブには可能性がある」FC岐阜・柏木陽介引退会見

(佐藤亮太)

「サッカー人生は幸せだった」「このクラブには可能性がある」FC岐阜・柏木陽介引退会見

FC岐阜は5日、浦和レッズで2010年から21年まで在籍し、今季限りで18年間の現役生活を終えるMF柏木陽介の会見を開いた。

メガネにスーツ姿で登壇した柏木は「サッカー人生は幸せだったなと思う。サッカーが好きで楽しくて、もちろん苦しいこともあったが、幸せだった。そして、やっと走ることを終えられるかと思うとホッとしている」

もう走らなくていい。それが心からの気持ちだろう。

身体が大きいわけでもなく、足が速いわけでもない。だからこそピッチを走り続け、ボールを追い、味方につないだ。

「サッカーはしんどいんです。サッカー人生、30年間走ってきたので、もう走らない生活、食事、お酒とかなにも気にせず飲めたりしたら幸せだろうなと思っていたので、そういう思いでの決断だった」と引退の経緯を語るとともに「昨年アキレス腱断裂して『やれてもう1年くらい』じゃないかなと感じていた。現代のサッカーに対して、自分は去っていくタイミングだと感じた。体自体が動かない、走れなくなった感覚はなかったけど、負傷がちな体になっていたこともひとつの要因」と求められるサッカーと身体の変化を挙げていた。

なかでもキャリアの半分以上を占めた浦和での11年間は楽しいことよりつらく苦しいことが多かったかもしれない。

フォルカー・フィンケ監督2年目の2010年に加入。11年はベテランと若手のあいだに入り、つなぎ役となりチームをまとめ、自身の得点で残留を手繰り寄せた。
12年、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督のもと、チームは向上。ハリルホジッチ監督のもと、日本代表に選出された。17年、2度目のアジア王者となり、大会MVPに輝いた。
18年、阿部勇樹から引き継いでキャプテンに就任。このシーズン、リーグ最多の13アシストを決めた。

一方、責任を背負いすぎるのか、自身のパフォーマンスに影響。ケガなどもあり、調子の振るわない時期もあった。

迎えた21年、退団を余儀なくされる。

「浦和レッズを度重なる規律違反という形でチームを去らなければならない時は本当に苦しかった。それ以上にチーム、個人としても自分のプレーがうまくいかない時が一番苦しかった」と吐露した。

リカルド・ロドリゲス監督初年度、なにか新しいものが生まれる、そんな期待感のなかの柏木退団はファン・サポーターに大きな失望を与えたといっていい。

失意のなか、向かったFC岐阜での3年間。

加入当初、個の能力の高さは感じるものの、なにかが足りない。その足りないものを柏木はチームに植え付けた。

「サッカーはつながりをもってやっていくことを少しでも伝えられればと臨んで(望んで)きた。プレイヤーとして3年経って、少しは変化が出てきたのかなと感じる。伝えるのも難しかったがすごく良い経験になり、今後の生活に役立つことがたくさんあった」

これは柏木だけでなく、宇賀神友弥、その柏木と同じタイミングで引退する田中順也、といっしょに手掛けてきた。

さて今後についてだが、「クラブのヴィジョンを達成するためにできること、チームが求めていることを混合させていきたい。追って発表していきたい」と詳細は明らかにされなかったが、FC岐阜に残る模様。

さらに「このクラブには可能性がある。強豪クラブになる可能性がある」とし10年、15年先を見据えながら、「J1でしっかり戦えるチームに、ACLで戦えるチームにするのが目標」と意気込みは強い。

質疑応答後、ビデオメッセージが紹介。槙野智章氏をはじめ、サンフレッチェ広島でクラブリレーションズマネージャーを務める森?和幸氏、同アンバサダーの森?浩司氏が登場し遠藤航、興梠慎三、家族ぐるみの付き合いのアルビレックス新潟トップチーム・アシスタントコーチ 田中達也氏、浦和レッズユースコーチ 平川忠亮氏がメッセージを送った。

最後の花束贈呈では長年の付き合いがある、今季限りで栃木SCを退団した?萩洋二郎氏が登場。

約1時間の会見は大きな拍手のなか、幕を下ろした。

18年間、現役生活、お疲れ様でした。





(c)REDS PRESS