(有賀久子)
今、山田A子noteに注目!“湘南ベルマーレの山田直輝”が誕生するまで
コラムを書く時、インタビューをする時、“知りたい欲”、“記録・記憶に残したい欲”が湧き上がる。そこにはもちろん、読み手であるサポーターが、“何を聞きたいだろうか…”という側面も持つが、自分の取材対象者への興味が文章に表れると感じている。
長く取材の現場に立ち、たくさんの選手と接してきた。山田直輝は、その1人だ。
出会った頃から、サッカーが大好きで仕方がない、“サッカー小僧”という印象が強い。彼には、ピッチの中のことだけではなく、新幹線で起きた“ほっこりエピソード”を聞いて当人同士の再会の場を設けたり、漫画家の古沢優先生から自画像イラストの手ほどきを受けて頂いたり、コロナ禍には、その年に始めたオンライン活動についてインタビューしたこともあった。
籍を湘南ベルマーレに置いていたって、“我らの直輝”という気持ちが強いのだ。
前置きが長くなったが、そんな直輝は、SNSを活用していない。アカウントはあるが、X(エックス)で言えば、リポストぐらい。それが11月1日(金)の夜、突如、直輝のアカウントが動いた。
「妻がnote始めました!」
えっ??? 妻が?
浦和レッズ時代の奥様会で、“〇〇!”とか、“〇〇ちゃん!”と呼ばれていた、あの奥様が?
メディアプラットフォーム『note』。文章をメインとした記事コンテンツ、と言うと分かりやすいだろうか。プロフィールには「夫のこれまでの経験が、未来ある子ども達の希望や助けになればという思いで書いております」とある。著者は、湘南ベルマーレ山田直輝 妻/山田A子。間違いない。直輝の奥様だ。
……面白い。最高だ!
一気に読めるし、次が早く読みたいと思った。直輝とA子さんは同級生であり、家族だから書ける内容であり、何よりも言葉選びが良い。とまぁ、こんな語彙力のないクチコミで申し訳ないが、このA子さんの文章と内容、そして思いを、1人でも多くの方に届けたいと思った。
すぐに湘南広報に連絡し、“なぜ、noteを始めたのか”を知る時間をもらった。
このnoteは、A子さんが、夫・直輝を自らに憑依させ書き進めている。であれば、インタビューでは、直輝が、妻・A子さんを憑依させてお答え頂きたいと願ったところ、直輝自身の提案で、A子さんが同席するインタビューが実現した。2人とも、TVの特集に出演した記憶はあるが、A子さん自身が主役となるインタビューに揃って臨むのは初めてではないか?と、2人は笑った。
湘南ベルマーレ山田直輝 妻 / 山田 A子
RP:noteの第1回に記されていますが、まず、どのようなキッカケで発信しようと思ったのですか?
直輝:もともとは、妻が僕に「これまでのサッカー人生を、何かの形に残したい」と言ってくれるところから始まりました。
A子:私としては、“湘南ベルマーレの山田直輝”であるうちに、より多くの人に届けたいという思いがあって。衝動的にというか。早急に“書かなければいけない!”と思い立ったところで、(ライターなど)どなたかにツテをあたっている時間はないし、もう、自分たちで動くしかない!という状況で、急ピッチで進めた感じですね。
RP:“湘南ベルマーレの山田直輝”であるうちに……。それが1つのキーワードですね。アカデミー時代から直輝を取材している中で、1人の直輝サポーターとして感じてきたことがあります。それは、湘南ベルマーレという存在が、直輝のサッカー人生の中でとても大きく、そうやって、直輝が “大切だ” と思える場所に巡り会えて良かったなぁ、と感じてきました。2人にとっても、やはり特別な場所ですか?
直輝:僕にとっては、浦和レッズ時代に大怪我[左膝前十字靭帯断裂]をして、長い間、サッカーが出来ずに、復帰してからも、到底、プロのサッカー選手としては戦える状態でないと自分で感じていて(☆ note 第6回に記されている)。
その時に、湘南ベルマーレと、当時、監督を務めていた?(貴裁)さんに声を掛けてもらって。なので、この湘南ベルマーレで厳しく鍛え直してもらったというか。この機会がなければ、もう1回、自分がプロサッカー選手として戦えるプレーヤーにはなれていなかったと思います。今、僕がサッカー選手としてプレーすることが出来ている理由。湘南ベルマーレに来ること以外はないな、と。今、振り返っても、そう思います。1度目の移籍は大事な決断だったし、良い選択だったと思っています。
RP:A子さんにとっては、湘南ベルマーレはどういう存在ですか?
A子:うーん、そうですねぇ。何か……。何という言葉で表現すれば良いのか分からないんですけど。浦和レッズも大きな存在でしたけれど、この地で子供が産まれて。サッカー選手という夫の仕事が家庭の軸になっていたので、子育ても、ベルマーレに支えてもらったなという意識ですし、ベルマーレなくして、ここまで子供たちを育てられなかったなという感じです。
RP:A子さんの思いで始まったnote。
A子:自分でも、急に思い立って、勢いでよく始めたな、とは思うんですが(笑)
直輝:僕じゃ、あんな文章は、絶対に書けないですよ。
RP:note第5回の次に掲載された『箸休め:1』。18歳の木に登る直輝の写真は最高でした(笑)
A子:(笑)
直輝:あれ、みんなに言われます(笑)このnoteは、嬉しいことに反響が多くて。ファンサービスの時、半数の方に「奥さんのnote、見ています!」とか、「A子さんに渡して下さい」とプレゼントを頂いたり。嬉しいです。
RP:ご家族だからこそ書ける文章だなと思ったのが、『チビ』で『鈍足』というパワーワードです。
直輝:妻にしか付けることが出来ないタイトルと内容ですよね。どんなに親しい関係の方が書いたとしても、『チビ』で『鈍足』なんて、サポーターの皆さんから指摘を受けそう(笑)
RP:そうですねぇ。ご本人が話した内容に、この2つのワードがあったとしても、タイトルに付けるのは、ちょっと迷いますね(笑)。どの時代の山田直輝から執筆するかなど、A子さんの中で、まず、どのような構成を考えたのですか?
A子:この2つのワードなんですけど、実際に、私たちの子供が、すごく『チビ』『鈍足』なんですよ。お父さんから受け継がれていて。『チビ』『鈍足』な子供を持った時に、改めて、“あれ?夫は今、J1リーグでプレーしているけれど、このことって凄いことなんじゃないか”と実感するようになって。私たちの子供は、サッカースクールに通ってサッカーをしているんですけど、ここにいる、たくさんの子供たちの中で、実際にプロサッカー選手になれるのって、何割の子なんだろうと思ったら、『チビ』で『鈍足』の子供を抱えたご家庭のほうが多いんじゃないかな?と気付かされて。この彼が、そういう弱点を持ちながらもプロの道をつかんだ、というのは、誰かのヒントになるんじゃないかなと感じるようになって、記録に残したい!と書き始めました。
RP:その言葉を受けて、どうですか?
直輝:実は最近、妻に「ずっと背が小さくて、ずっと足が遅いじゃない?」と言われて、僕、気付いたんですよね。
RP:えっ(笑)あ、失礼。
直輝:その反応、分かります(笑)。それまで自分がチームの中で、いつも背が一番小さくて、一番足が遅いということに気がついていなくて。
RP:そうだったんですね。背は別にしても……。もしかしたら、ピッチに立つ直輝に『鈍足Jリーガー』だと感じる人は、そんなにいないかも知れませんね。
直輝:でも今、過去をたどってみたら、僕より足が遅かった人って、1人、いるか、いないかぐらいで……。そう気づかされた時に、自分でも、“あ、たしかに、今の人生って、ちょっと凄いことなのかも”という風に思い始めて。あ、じゃあ、妻が言う、それを一緒に書いてみよう!というか、妻が書きたい!と言ってくれたので、僕はもう、面白そうだから一緒にやろう!ということで、今があります。小さい頃のことから、こんなに真剣に振り返ったことはなかったので、改めて、今の生活に感謝しているというか、いろいろなことに感謝できる時間になっているし、妻のおかげで、すごく良い時間を過ごさせてもらっているなという感じがします。
RP:直輝自身がこれまでスピードについて気が付いていなかったという事実は驚きましたが、今、思い出したことがあって。実は、あれはフィンケ監督時代のオーストリアキャンプで、メニューを終えた柏木陽介さんが、1対1の対人練習をやっている直輝を見ながら、「俺と直輝は足が遅いんだけど、足が遅いのを感じさせないような予測する力がポイントだね」という話をしていて。その時、たしかに、守備側とヨーイドンの場面になってしまうと追いつけない直輝がいたのですが、直輝が主導権を握っている場面ではボールを奪われない。「弱点を知ることが大事だよ」と話す陽介の言葉が記憶に残っているんですよ。
直輝:陽介くんは、僕のことも含めて、足が遅いのを感じさせない力があると言ってくれていたんですか?
RP:そうです。直輝の走っている姿を見ながら話してくれました。
直輝:それ、ちょっと嬉しいですね。陽介くんが、僕のことをそういう風に思ってくれていたというのは。
A子:足が遅いって言われているんだよ(笑)
直輝:でも、そう感じさせないということを、陽介くんが言ってくれているということは、直輝は、何かをやってきたんだなと思ってくれているということだから。
RP:そうです。そうなると、改めて、弱点を弱点と感じさせないような、お父さまの指導法は興味深いですね。そして、お母さまも。お兄さんのサッカー教室選びに苦戦している旦那様に向かって「自分が教えてしまえば?」と助言したのも面白いです。
A子:本当に山田家は素晴らしくて。
直輝:僕の、このサッカースタイルというのは、ほとんど父が教えこんでくれたものです。さっき言ったように、自分が、“足が遅くて、チビである”ということに気が付かなかったというのは、幼少期の頃から、その弱点を振り切るような指導をしてくれていたからだと思いますし、幼少期から、その弱点を補っていけるようなことができれば、これはもう、弱点が弱点では無くなるというのを、自分が身をもって感じていますから。
A子:これまで読んできたサッカー選手の自叙伝というのは、私の家族にとっては、スケールが壮大すぎるんですよね。いざ、『チビ』で『鈍足』な我が子を前にすると、この手にとった本の中に書かれていることは壮大すぎる。たとえば、日本代表から落選した、海外に挑戦したがうまくいかなった、といった挫折や葛藤は、我が子とは、あまりにもステージが違いすぎて、指針にできるものではなかったんです。でも、体格や運動能力に恵まれなくても、サッカー選手になりたい!という強い気持ちを持った子供は、必ずいるはずなので、夫が歩んできた道を、具体的に伝えることで、参考になるものを作りたかったんです。
直輝:このnoteだったりで、そういう親御さんや子供たち本人に、僕のこの経験が生きてくれれば良いな、という風に今、すごく思っていて。2人で大事に綴っています。
A子:もう1つ、noteに限らず、こうして形に残したいと思ったのに理由があって。山田家のお父さまが、一般の私から見たら、ものすごいことをなされているんですよ。たくさんのプロサッカー選手を輩出されて、それは本当に素晴らしいことだと思っているんですけど、全くそういう主張をしない方で。お父さまは、奥ゆかしい方なんです。それが長年、私は歯がゆく思っていて。もうちょっと、お父さまの凄さを世にアピールしたいっていう思いがあったんです。プロサッカー選手になれて、恩返しじゃないですけど、どれだけ素晴らしい教育を与えてくれていたかを伝える、恩返しの面もあって書きました。
RP:この先も書き留めているのですか?
A子:正直、noteには前半部分だけを。今、第1章を書いているんですけど、この第1章までの投稿でやめようかなと思っているんです。それ以降は、夫が今後、直接、子供たちにお話しできる場があれば良いなと思っていたり、目指せるのであれば、本とか、そういう形に出来たら良いなと思っているので、とりあえず、第1章までしか書き上げられていないんですけど。この続きを、どなたか知りたいと思って下さる方がいたら、何か機会があれば、書きたいなと思っています。
RP:noteはここから、怪我のことも話題に入ってくるでしょうから、心がキュッと締め付けられるような内容になりそうですね。
直輝:ここからの話は、結構、山あり谷あり。いや、谷の方が多い話になるかもしれないですね。
RP:ずっと直輝の隣で戦ってきたA子さんは、直輝の変化を感じる時はありましたか?
A子:出会った頃は、それこそ子供で(笑)。ただただ、サッカーが好きな少年でした。ずっとプロサッカー選手になる!と、夢とかではなく、決定事項として彼が言っていることは覚えているんですけど、私にとっては、現実的ではなかったんですよね。なれるのか?と思っていたんですよね。
直輝:何歳の時、それ?
A子:16歳、17歳かな。だって、そう言って実際になれない人がほとんどの世界だろうと思っていて。まず、当時からずっと変わらないのは、サッカーが好きということですね。怪我していてもサッカーがしたくて、したくて。とにかくサッカーがしたいという気持ちでやっているのは変わらず。オフになっても、サッカーをしに行っちゃうとか。変わった瞬間か……。浦和レッズから湘南ベルマーレに来た時は、意識が変わったかなと思っています。
直輝:僕も、そこかなと思います。それ以外は変わっていないかな。1度目の移籍、客観的に見ていて、どうだったの?
A子:うまく言葉に出来ないけれど……。
直輝:僕は何か、もう1回、ゼロからプロサッカー選手を目指したみたいな感覚でした。さっき言ったように、レッズで大怪我をして、プロサッカー選手としてダメになったと感じていた中で、そこからの2年ぐらいかな?湘南ベルマーレで2年ぐらいかけて、もう1回、新たなプロサッカー選手になったという感覚です、僕の中では。
RP:取材を通して、湘南でしっかりと生きているなと強く感じた時期ですね。
直輝:湘南に移籍した時は、とにかく、もう1度、自分がプロサッカー選手として輝きたいという気持ちだけでした。これだったらプロサッカー選手として戦える、と思った時に、ちょうど契約が切れる年で、レッズからもありがたいことに復帰のオファーを頂きました。自分の中で、その時、正直、迷いはなくて。浦和レッズに戻ると、すぐに決めていて。自分の中で、浦和レッズというのは特別なチームだし、そこでチャレンジしなかったら、たぶん、もう浦和レッズでプレーすることはないなと自分の中で分かっていたので、自分が絶対に後悔しない選択は、間違いなく、浦和レッズに戻ってプレーすることでした。そこには迷いはなかったです。浦和レッズで絶対に輝いてやる、というか、自分の辛い時期を支えてくれたサポーターの前で、また元気な姿を見せたいという気持ちでした。
RP:直輝として、遠い将来の自身の姿は?
直輝:サッカー選手としてやれる間はサッカー選手をやりたいですし、その先は指導者というのが、自分の中の夢というか……。夢という感覚ではなく、なるもの、という感覚はありますね。いつか、湘南とレッズで監督ができたら幸せだろうなという風に漠然と思い描いています。
RP:今回は、A子さんのnoteを読んで、2人で執筆を始めた理由を伺いたく、取材のオファーしました。
直輝:今回のnoteは、自分たちの歩みを形に残したいというところと、僕の経験を、同じような境遇の親御さん、子供たちに届けたいという2つの思いで始めました。……で、意図は合っているよね。最終的には、本とかに残せたら良いな、というのは、2人の最終的な目標というか。
RP:良いですね。形として残ると、2人のお子さんたちも手にとれますからね。
直輝:それは、僕の中では一番嬉しいですね。パパの人生を読める本があると思ったら、嬉しいというか、ワクワクするというか。
RP:Jリーガーになれる人の、さらに限られた人が(書籍など)形に残せる人であると思います。
直輝:プレーヤーとして、Jリーグのトップ・トップになれたかというと、自分ではそうは思わないですけど、僕がしてきた経験というのは、Jリーガーの中でも数少ない経験だと思うので、この経験が、他の誰かのために必ず役立つと信じています。
RP:noteを始めるまでの、スピーディーさも良かったと思います。思いの強さをより感じました。
直輝:書き始めるとなったのは、1ヶ月前ぐらい。2週間ぐらい前から載せ出してね。
A子:本当に文章は書き溜めていないんですよ。見切り発車で(笑)
RP:『箸休め』が泣けました。
直輝:僕も読んで、グッと来ました。『箸休め』は、完全に妻目線で、話し合いで完成させる作業がなかったので。『箸休め』の2本目を読んだ時には、グッときました。妻は、子供の頃からサッカーは全然分からないから、僕がどういうレベルにいて、とか分からなかっただろうし、僕自身も「サッカー選手になる!」とは言っていたけれど、いつも危機感にさらされていましたし。
RP:危機感ですか?
直輝:だいたいアカデミーからトップチームへの昇格人数って、1名、2名じゃないですか。そういう感覚で、ずっと中学1年生から競ってきました。また自分が、そのチームの、自分たちの学年の1番であるという感覚もなかったので。常に危機感しかなくて。でも、あの時代、それは周りの選手たちも、そういう危機感を持っていたんですよね。だからこそ、みんなで成長できたんだと思います。そういう環境だったなと思います。その環境には、すごく感謝しています。原口(元気)を入れて、5人か。2種登録をしてもらった時に、ようやく “あ、プロになれるんだな” という感じがしたのを今でも覚えています。
RP:今後も、A子さんのnote、楽しみにしています。
直輝:ありがとうございました。
A子:ありがとうございました。
この取材から数日が経ち、11月29日(金)、湘南ベルマーレは、今シーズン限りで山田直輝との契約が満了になることを発表した。現時点で、新天地がどこになるかなど、新たな情報は入っていない。
(聞き手:レッズプレス!!ライター有賀久子)
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