浦和レッズOBの長澤和輝が、海外クラブへの移籍を前提に、ベガルタ仙台を離脱した。国内最後の試合は、奇しくも故郷であり、古巣のジェフ千葉との対戦。試合前、SNSには“長澤和輝が浦和レッズを応援するキッカケだった”というポストを目にし、試合後のミックスゾーンで、その言葉を、本人に伝えた。
長澤は表情を緩ませ、「きょうも浦和のユニフォームだったり、名古屋のユニフォームだったり、ケルンのユニフォームを持ってきてくれた人もいたし、もちろん、ジェフの時のユニフォームを掲げてくれる方々も多くいましたけど。僕が、そうやって評価してもらえたり、応援してもらえるというのは、これまでの選択で、挑戦をしてきたし、そういう姿を見せてきたというところもあると思います。また新たな挑戦になりますけど、その姿を今後も応援して頂ければと思います」と話した。
今年、長澤と再会したのは、沖縄・金武町キャンプ滞在中。長澤が、昨シーズンの8月から所属する仙台と、浦和レッズがトレーニングマッチを行った1月だった。
会うなり、長澤は「年齢も、今やチームで上から3番目ぐらいの年齢ですよ」と笑っていた。そして「浦和で経験させてもらったような、いろいろな経験を、若い世代に伝えられるように、プレーで見せていかなければいけないと思っていますよ」とチームの先頭に立って、チームを前進させようと意気込み十分だった。
彼の、仙台における取り組みは、J2リーグの順位表に表れた。現在、仙台はプレーオフ出場圏の5位に位置する。25日(日)に行われたジェフ千葉戦は4対2で敗れたものの、長澤が担った役割について、“ゴリさん”の愛称で知られる森山佳郎監督は試合後、こう語った。
「この順位にいるということが、ほぼ、長澤がチームを引っ張ってくれて。チームの中でコンダクターや、ピッチの中の監督のようなところで、試合の流れや、いろいろな状況に応じてチームを動かしていたのが長澤でした。その穴は大きすぎる」。
ゴリさんの、最上級の褒め言葉だ。また、同クラブでブラジル籍選手の通訳を務める、元浦和トップチーム通訳のロドリゴ・シモエスさんも「チームのリーダーでは言い表せないほどの存在。寂しい」と素直な気持ちを口にしていた。
浦和レッズにおける長澤はリーグ戦はもちろんのこと、最も凄さや魅力を感じたのは、ACLの戦いだ。2017年の2度目のACL制覇を語る上で欠かすことのできない選手であった。彼にとっても、サッカーキャリアの中で強烈に記憶に刻まれている出来事だ。
いつだって、長澤は挑戦してきた。千葉県出身の長澤は専修大を卒業後、Jリーグを経験せずに海を渡り、ドイツの1.FCケルンでプロキャリアをスタートさせた。帰国は、2016年。浦和と契約し、そのまま期限付き移籍として、プレー先は千葉へ。翌年から2020年まで、浦和でプレー。その後、名古屋、仙台と闘う場所を変えた。さらに現役選手ながら、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科に合格し、学業との両立を図った。いつも彼の幅広い視点には驚かされてきた。
この12月で、33歳を迎える。新たな挑戦に向かっている。サポーターに見せ続ける挑戦の姿こそが、長澤和輝の魅力である。
《長澤和輝》
「(自分にとって)このラストの試合に勝って行きたかったですけど。非常に悔しい負けになってしまいました。次に課題が残るゲームになりましたけど、これを分岐点に、チームには、ここから歯を食いしばってやってくれとお願いしたので、僕も、遠くにいながらですけど、期待していきたいと思います。
(自分は抜けるが)誰が、というわけじゃなくて。1人1人が、自分が、という風な思いを持てるかというところが大切だと思います。何より、今シーズンに入ってからずっとそうですけど、常に選手に「矢印を自分に向けるように」と導いてくれるゴリさんという存在は、僕自身も、選手として一緒にできたのはすごく幸せでしたし、ここで自分を変えてやるという強い意志を持って、全員が取り組んでいくしか、ここから、状況をさらに良くしていく方法はないと思うので、そこは年齢関係なく、上の選手も若い選手も、みんなに期待したいところだと思います。
自分が仙台に残せたもの、と言ったらおこがましい。去年、なかなか厳しい状況で勝てないとか、チームが分裂してしまうという風なところがありましたけど、今シーズン、みんなで粘り勝ちした、1対0の試合も本当に多いですし、先制された後の、取り返すという風なゲームも多い。そういう、気持ちというか、まだまだですけど、細部のところで勝負をモノに出来ているというところはあるかな?と思います。
サポーターの皆さんには、感謝しかないと思っています。こうやって、監督を中心に素晴らしいチーム作りが出来てきて、若い選手が自信をもってチャレンジ出来ているのは、温かいサポーターの声援というか、背中を押してくれているということが間違いなくあると思います。去年、苦しい中でも支えてくれて、自分たちのことを信じてくれる。このサポーターをJ1に連れて行くという風なところは、選手たちが胸に持ってトライをしなきゃいけないことだと思います。
(33歳になる年での挑戦だが)自分自身、22歳で最初、ドイツに行かせてもらって、その年、2014年にちょうどブラジルワールドカップでドイツが優勝して、自分の中では挑戦の地で、サッカーの文化だったり、それ以外にも言語だったり、いろいろなことが自分の中で経験できて、そこでの経験が、自分のその後の人生を作っていったと思いますし、そこで何で出られないんだろう、悔しいなって、それを変えたいなと思っていたから、たとえば、大学院に行って、そんな研究テーマで研究させてもらったり、ドイツサッカーで戦うということを勉強させてもらって。それが、その後のACLでの戦いにも繋がって、そこでの戦う姿勢を見てくれた北野(大助)さんが、こうやってベガルタにまた連れてきてくれて、人の縁でこうやって繋がってきたなと思いますし、ただ、僕自身、この先、選手としてもそうですけど、そのあともサッカー人として、やっぱり日本がどんどんどんどんと強くなっていくために、今までのキャリアの経験としても、この選択も含めて、日本と、海外と言ったら、いろいろありますけど、そこで何か活躍できるサッカー人材になれればな、と思っているので、良い経験になるような挑戦にできれば良いと思っています。
話を頂いてからは、もちろん、本当に悩みましたし、チームのみんなとも話しました。自分の思いもあって、こういう決断をさせてもらいましたけれど、決して、快く送り出してくれるというわけではないですけど、ただ、僕の思いも伝えて、そういうことだったら、和輝の夢だったら、とゴリさんも、どの選手が1人抜けるのも大変なことですけど、そんな中でもこれまで試合に出ていたことも長かった中で、それは和輝の気持ちだから、と背中を押して頂きましたし、その決断を成功にできるように、という言葉を頂いたので、本当にありがたく思っています。
特にボランチの選手なんかは、誰が、そこでこう、これから出て行くかというのは、その時の調子だったり、監督の決断だったりになると思いますけど、それぞれの良さがありますし、逆にここをチャンスだと思って、これからのベガルタをしっかりと作っていってもらいたいと思います。
ベテランと少し言われるような歳になってきましたけど、年齢というより、オファーが来たということは話が来たということなので、年齢ではないというか、いくつになっても、その時に挑戦したいと思って、そういう挑戦できる環境があるんだったら、僕はするべきだと思いますし、僕は、そういう年齢というところはあまり気になっていません。
また異国の地でイチからチームに入って、というところは、僕、一度、経験していますけど、簡単なことじゃないです。だけど、そういった苦しい、というか、大変な中に成長はあると思うので、そういうところは楽しんでチャレンジしたいと思っています。
(ケルンに渡った時の思いの違いは)あの時は22歳で、右も左も分からないというか、アマチュアからの、初めてのプロでした。そういった意味では、いろいろな経験をありがたいことに、このジェフでもそうですし、浦和でも名古屋でも、仙台でやらせて頂きました。肉体的には、少し衰えてきたところも、もしかしたら、あるかもしれないですけど(笑)、逆に、経験だったり、自分の頭の中は成長できていると思っているので、そういったところでまた、勝負できたら良いなと思っています。