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REDSPRESS EYES|S広島Rから東京NBへの電撃移籍から2ヵ月。 DF木?あおい が語る経緯と順応できた理由|レッズプレス!!

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S広島Rから東京NBへの電撃移籍から2ヵ月。 DF木?あおい が語る経緯と順応できた理由

かつて三菱重工浦和レッズレディースに在籍した、木?あおいを取材した。



(佐藤亮太)


「ここベレーザで挑戦したかったです。ベレーザの高いレベルのなか、自分の身を置いて、どれだけできるか。より高いところにいきたい、そう思ってきました」

脳裏に古巣があったのだろう、言葉を選びながら、日テレ・東京ヴェルディベレーザ(以下・東京NB)DF木?あおいは移籍の経緯を語った。

木?は浦和レッズレディースの下部組織から2016年、トップチームに昇格。同期には遠藤優、塩越柚歩、松本真未子(現:マイナビ仙台レディース)がいる。

当初、ボランチだった木?は翌17年、サイドバックにコンバート。レギュラー格として成長。出場機会を増やし、プロとしての道が開けた。

「(ボランチとサイドバックは)最初、全く別物と思っていましたが途中からは一緒だと感じました。ボランチは視野が360°でサイドは180°になります。でも内側を取ること、ビルドアップからゲームを作ることで共通点があることに気が付きました」
ただ、3年目はスタメンとサブを行ったり来たり。

翌19年、心機一転。ちふれASエルフェン埼玉(以下・EL埼玉)への加入を決め、ふたたびレギュラー格へ。

さらに21年、WEリーグ開幕にあわせ誕生したサンフレッチェ広島レジーナ(以下S広島R)へ移籍。

加入当時のレッズプレス!!インタビューで木?は経緯についてこう話した。

「S広島Rからオファーがあった時、中村伸監督とお話しする機会がありました。その際、中村監督が話していた『全員でチームを作っていく』『全員が共感しながら進めていくプレースタイル』というところに、とても魅力を感じました。」

そしてことし2月9日。S広島Rの主力ながら、シーズン中でありながらの東京NBへの完全移籍。これに女子サッカー界がざわついた。

ただ、端から見て、今回の移籍は成功するのか、疑問が抱いた。

なぜなら東京NBは下部組織からの生え抜き中心のメンバー。トップチームで通用する、あるいは通用できる一貫したサッカー、文化、哲学が東京NBにはある。

だからだろう、他チームから主力級の選手を補強するようなやり方はほとんどなかった。

そのなかの木?の獲得。そうした文化、哲学を持ったチームに加入し、はたして通用できるか。たとえれば、まったく英語が話せない日本人がアメリカで暮らすようなものだ。
ただ、東京NBとしては清水梨紗の穴を埋める緊急補強。即戦力として考えていたはず。
相当な確信を持ってオファーを出したといえよう。

なぜ確信をもっていたのか?そのヒントを木?が語る。

「ちふれのとき、指導内容やサッカーへの取り組みの仕方、考え方が(東京NBと)似ていた。ちふれには2年間いましたし、外部から来た人に比べ、なじみやすかったと思いますし、少なからず下地はあると思います。」

木?がEL埼玉に加入した2019年、指揮を執ったのは菅澤大我監督。その菅澤監督は長くヴェルディの下部組織で指導を当たった指導者。

木?の証言はある程度、当てはまる。

木?はクラブの期待通り、ウィンターブレイク後の4試合すべてで先発出場を果たしている。

その木?の背中には背番号「2」初めてつける番号であり、移籍した清水梨紗を受け継ぐかたちだ。

クラブから提示されたとき、木?は気が引けたそうだ。

「長く清水選手が着けていた番号ですし、プレッシャーじゃないですが、自分がふさわしいのかどうかと思いましたし…畏れ多いというか…」

その一方で「期待していただいているので、断るのはちょっと違うかなと感じました」と決断した。

浦和、EL埼玉、S広島Rと3回目の移籍でたどり着いた名門チーム。
注目度が増す分、なでしこジャパンへの道が近くなったともいえる。

しかし木?は「わたしのなかではまだまだという気持ちが多い。ベレーザに加入したから近くなったとは思いません」と否定した。

「いままでの経験を踏まえてもまだまだ足りないと思います。まずはチームで結果を出して、見て頂けるようなプレーを見せたい」と足元を見つめた。

ちなみに東京NBとの対戦は5月7日、浦和駒場スタジアムで行われる。

 

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