レッズを離れる選手について、記者が思い出を語ります。今回は、仙台への移籍が決まったマルティノス選手について。
ウインガーの苦悩。補強の難しさを考えさせられた選手
補強の難しさを改めて考えさせられる選手だった。
マルティノスが横浜F・マリノスから加入したのは2018年。前年、横浜F・マリノスはエリク・モンバエルツ監督のもと、5位に躍進。そのなかでマルティノスは、2シーズンで54試合9得点を挙げ、主力となった。
それだけにマルティノスの浦和加入について、横浜FM界隈からは、同じ18年にMF齋藤学が川崎フロンターレへ移籍したことをあいまって、「両翼をもがれた」という声が挙がった。
快速ドリブラーを好む浦和としては当然、期待はしていたが、マルティノスは最初から運がなかった。
18年当初、堀孝史監督が指揮を執ったが、3月いっぱいで契約解除。翌4月、大槻毅代行監督を経て、オズワルド・オリヴェイラ監督との契約と、1シーズンで3人の指揮官のもとでプレーした。
マルティノスには、ドリブルというハッキリとした特長はあった。あったのだが、それだけに戦術とプレーの不一致や、クラブやチームの状況に翻弄されたことは否めない。翌19年になっても、状況は好転せず。後半からの途中出場ばかり。6月、大槻監督が再登板したが、序列は変わらなかった。そのなかで先発のチャンスが巡ってきた。8月14日、天皇杯3回戦のJ2水戸ホーリーホック戦だ。試合は首尾よく、2−1で勝った。マルティノスも、それなりに良さが出たが……。自身が得たPKの直後に交代を言い渡される。
冷遇に次ぐ冷遇に、憤懣やるかたない想いが募ったのか、ボールを大きく蹴飛ばし、ベンチへ下がってしまった。
その後、およそ2カ月、メンバー外が続いた。
ただ、シーズン最終盤。第33節のFC東京戦、第34節のガンバ大阪戦で先発。FC東京戦では初ゴールをあげて意地を見せた。
そして、迎えた2020年。
沖縄合宿を取材した記者から「マルティノスの目の色が違う」と聞いた。
練習から少し接触で転倒し、大げさに痛がっていたが、そうしたことがずいぶんとなくなったという。さらに「今年はマルティノスイヤーだ」と豪語していた記者がいた。
はじめは半信半疑だったが、シーズンが進むにつれて、ドリブルが重宝がられ、最終的に「戦術=マルティノス」として数少ない攻撃の起点の1つとなり、スタメンの回数が増えた。
この変化は、戦術と特長が合致したことともに、トーマス・デンの加入が大きかったと推察する。
振り返れば、ここ数年、外国籍選手はマウリシオ、ファブリシオ、エヴェルトン、さらにレオナルドとブラジル籍選手が多かった。さらに端から見ても、自らそうしていたのか、チームになじんでいるようには感じられなかった。
以前、マルティノスを六本木まで乗車したタクシードライバーは、その様子を「どこか寂しげだった」と話していた。胸の内を話す相手がおらず、盛り場へ行く気持ちも分かる。トーマス・デンの加入は、そんなマルティノスが心の想いを吐露できる、貴重な相手だったかもしれない。
3年間の在籍中、J屈指のドリブルを持ちながらも、残り半年で活躍したマルティノス。選手補強や監督選考など、様々考えさせる事例となった。
そのなか1月7日、仙台への加入が決まった。
手倉森誠監督のもと、どのようなサッカーが展開されるのか?
仙台時代の堅守速攻か。
それとも昨季、長崎でのポゼッションサッカーか、いまのところはわからない。
しかし、マルティノスの俊足は生かされるはずだ。
21年シーズンが真のマルティノスイヤーとなることを。
(レッズプレス!!佐藤亮太)