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赤きOB選手たちの現在|【赤きOB選手たちの現在】第1回:阿部敏之(2)|レッズプレス!!

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【赤きOB選手たちの現在】第1回:阿部敏之(2)



浦和レッズは2017年に設立25周年を迎えた。全国各地に浦和レッズでプレーしたOB選手が存在する。レッズプレス!!では、OB選手たちの現在をじっくりと伺う。

第1回は、阿部敏之さん。
さいたま市(旧浦和市)出身。田島中学校、帝京高校で活躍。1995年に鹿島アントラーズ入り。浦和レッズとの繋がりはJ2リーグに降格した2000年にさかのぼる。1年でのJ1復帰を目指し、常勝軍団・鹿島から完全移籍。2002年のシーズン途中、チームを離れ、ベガルタ仙台へ。その後、アルビレックス新潟、再び鹿島に在籍し、2005年に現役引退を決めた。現在は、名古屋経済大学(愛知県犬山市)の男子サッカー部で総監督を務める。

(1)の記事はこちらから!

RP:チームを成長させる、その難しさはどこにあると思いますか?
阿部「名古屋経済大学は名古屋と考えても、愛知と考えても、立地が郊外にあたるので、いる子たちのほとんどは九州から東北まで広く他県からやってくる学生が多いのです。チームは1年生から4年生まで、80人ちょっとです。大学生にもなると、バイトでお金を稼ぎ、自立している者もいて、中には心を刺激しても揺さぶられない子はいます。難しさを挙げるならば、これだけの人数の、1人1人にどのように刺激を与えるか。その難しさを感じています」

RP:反対に、阿部さんのこれまでの経験を話すと……。
阿部「今は下手くそでも、やる気の子には響きます。私も技術の向上を含めて、変えてあげたいのです。あとは気持ち。監督の白井にしても、コーチの小島宏美にしても、Jリーグを経験した者はメンタルが強いなと思います。今、私が接している学生たちや、周りでも芽が出ない子たちは、心がまだ弱い。サッカーはミスが起こるスポーツで、浮き沈みがあるものですから、耐えられないのでしょうね、きっと。私は、自分が関わっている以上は(どんな形であっても)やれるまでサッカーを続けて欲しいから教えているのだと伝えています。
それが伝わるように、目の前の相手に何が響くのかを見極めることを大事にしています。難しいけれど、面白いカテゴリーですから、私自身が柔軟になること。自分の経験をもとに、今はどういうことを教えなければいけないか、伝えなければいけないかを意識しています」
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