日本サッカー協会は来月、開催するFIFA女子ワールドカップオーストリア&ニューランド2023を戦うなでしこジャパン23選手を発表。これを受け、三菱重工浦和レッズレディースから選出された猶本光、清家貴子、石川璃音、そして高橋はなの会見を開いた。
「ここにいられるのは病院の先生、チームスタッフ、チームメイト、支えてくれた多くのかたのおかげ。その感謝の気持ちを大舞台でしっかり表現したい」と感謝の気持ちを語る高橋はな。
「(会見前)涙、枯らしてきたんですけど…」と言いながらも号泣の猶本。
「心から嬉しく思う。ここまで育ててもらったのは浦和レッズレディースというクラブのおかげ。チームには感謝したい。W杯は小さい頃からの夢。日本代表としての覚悟とプライド、責任をしっかりもって、臨みたい」と冷静な清家。
「メンバーに入るか入らないかのなか、ドキドキしながら見ていた。ことしはレッズレディースの活動はもちろん、W杯のためにがんばってきたので素直に嬉しい。(選ばれなかった)選手の分まで、やらなければならない。選んでもらってよかったと思えるように日本代表という責任をもって全力で自分ができることをやりたい」と腕まくりの石川。
ちなみに会見には石川の生まれた秋田県の地元紙 秋田魁新報が、オンラインには地元TV局が参加。石川は『秋田の星』になっているとのことだ。
四者四様。
笑いあり。涙ありの約40分の会見となった。
今回、サプライズ選出となった高橋はな。
発表の際、数人の選手で見守っていたという。選出された選手の喜びの余韻のあいだに、自分の名が呼ばれた際、やや後ろにいた高橋にむけ一斉に視線が集まり、同時にともに喜んだという。
「周囲が喜んでくれたのがなにより嬉しかった」と高橋は喜んだ。
昨年11月、スペイン遠征中、右膝の前十字靭帯損傷し長期離脱。WEリーグ最終節・EL埼玉戦で約20分プレー。復帰を果たしたばかり。
到底、代表入りはないかと思われた。
「正直、驚かれた方もいると思う。それは自分でも感じている」
しかし、高橋は諦めていなかった。
「ケガをして、スペイン遠征から帰国して、すぐに手術が決まって、そこから正直、いくつか選択肢があった。でも、わたしはできることをやりたかった。諦める理由にはならないと感じた。半年先のことを夢見てやっていたところでいまが変わるわけではない。日々を大切に毎日の積み重ねるしかないと思った。その積み重ねの先にきょうがあった」と信念は曲げなかった。
そもそも高橋はケガ以前、代表の常連。センターバックとともにFW、そしてサイドバックと複数のポジションができる選手。
さらに森脇芸など、チームのムードメイカーでもある。
W杯という厳しい戦いのなか、高橋の持つ陽の雰囲気が不可欠と池田監督は考えての選出かもしれない。
そして、会見で2度、涙した猶本。嬉し涙なのか、なにか思い出しての涙なのか・・・
先日のレッズプレス!!でのインタビューで「どちらかといえば、あんまり気にしていない」と話したが、代表への並々ならぬ思いを抱えていた。
「20歳のとき、はじめて招集されてから約9年。世界の大きな大会には縁がなかった。ずっと、世界の舞台で戦うことを思い描いてきた。その思いをW杯の舞台でぶつけたい」と語った。
約2年半前、ドイツ・フライブルクから浦和に復帰した際、チーム戦術になじめず、先発したものの、前半のみの出場という試合もあった。また何度かケガも味わった。
一般的に、海外から日本に戻ってきた選手の多くが、その後、目立った活躍するケースは少なくない。
しかし、猶本は違った。鍛錬をたゆまず、いまやチームの核。今季はリーグ全20試合に出場し7得点。目標の2桁には届かなかったが、いくつも決定機、いくつものアシストを演出。
そしてベストイレブン選出、初となるW杯メンバーとしてのなでしこジャパン選出とよくぞここまで来たと言える。
その原動力とは何か。猶本は約3分、訥々と語った。
「ひとつは2011年、なでしこジャパンの優勝を見て、輝いている、かっこいい先輩たちのように自分もなりたいという夢があった。そして、たくさんの人が応援してくれるので、このままじゃ終われない…という気持ち。
前回の2019年W杯のメンバーに入ることを応援していただき、(選ばれず)次は東京オリンピックにむけ、頑張れと応援していただき、そして、またダメだったかと、それでも応援してくれる人たちの力になっているし、ダメでも諦めない。いつかは何かを起こせば、そうした姿を見せられる、見てくれている、応援してくれている人もそうだし、これからサッカーを始める子供たちにも、なにか夢を持っている人にも元気を与えられるんじゃないかなという気持ちもあって、挑戦している」
この2年半、いや9年間がこもっており、代表で戦う意味、意義が感じられた。
代表に選ばれる、あるいは日本代表として戦うということはなにか。
それは小さい頃から、関わった人、あるいは応援してきた人への感謝とともに、その人たちの気持ちを背負って戦うということ。
そのことを改めて感じた会見だった。
・・・・・・