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西川周作物語

河野正記者が、西川周作選手の「これまで」を振り返ります。



プロフットボーラーとしてのキャリアをスタートさせた大分トリニータから2010年、さらなる高みを求めてサンフレッチェ広島へ移籍。加入3年目の12年に初のリーグ優勝を経験すると、翌年には連覇を達成した。森保一監督の手腕により、チームが成熟の領域に到達した広島で腰を落ち着かせていれば、タイトルを積み上げる可能性は膨らんだと思われるが、この男はリーグ3連覇を狙う広島を去って14年に浦和レッズへとやって来た。

「3連覇を目指す選択肢もあったが、居心地の良かった広島を離れて新しい環境に身を置くことで、さらに成長できると思った。浦和でどこまでやれるかトライし、自分が入ったことで失点を少なくできるかにチャレンジしたかった」

安穏とすることが性に合わないのだろう。現在日本人ナンバーワンGKと評される西川周作に「寄らば大樹の陰」という発想はまるでない。

12年から昨季まで、4シーズン続けてJリーグのベストイレブンに選出された。日本代表でも昨年9月3日のワールドカップ(W杯)ロシア大会アジア2次予選のカンボジア戦から正GKの座に就き、同年11月17日に敵地で行われたカンボジア戦では2−0と快勝。西川はW杯予選で5試合連続無失点という偉業を達成し、GKとしての個人記録で1993年の松永成立、97年の川口能活と並び、名実ともに日本を代表するGKとなったのだ。

ただ、浦和に移籍してからの2シーズンとも、リーグ戦では終盤まで優勝争いに参戦しながらタイトルには手が届いていない。16年正月の天皇杯全日本選手権も決勝で宿敵ガンバ大阪に煮え湯を飲まされた。

ミハイロ ペトロヴィッチ監督が就任した12年以降、毎年のように優勝を争いながら逸機の連続とあり、チームと選手の今季に懸ける思いは今まで以上に強い。ましてや広島に残っていたら昨季もリーグ優勝を味わえた西川にしてみたら、転籍が間違いでなかったことを証明する唯一の手段がタイトル獲得なのだから、何が何でもの覚悟がにじむ。

左足キックの精度と足技は、一級品のフィールド選手に劣らないが、もともとは右利きだった。サッカーを始めた小学校3年生のころは、左足で蹴ることができなかった。そこで「本当は交互に蹴らないといけなかったのですが、シュート練習では左足ばかりを使っていて、4年生の途中から左利きになっていたんですよ」と往時を振り返る。

大分U−15に所属していた中学時代、前半はGKを担当し後半はFWやDFを任され、いろんなポジションを経験したことで足元の技術が向上したそうだ。ペトロヴィッチ監督の戦術はGKを起点としたビルディングアップが要求される上、GKと守備ラインでのパス交換も頻繁に行われるとあり、高度な足技が必要とされるのだ。

昨季大宮アルディージャへ移籍したGK加藤順大も小学校から中学時代、前半がGKで後半はFWという器用な選手だった。浦和でも紅白戦ではサイドバックなどで起用されることもあるなど、足元の技術では西川と肩を並べた。

浦和でパントキックの上手な歴代GKと言えば都築龍太だったが、西川はそれ以上ではないか。浦和での2年間だけでも、パントキックで好機を演出した場面は何度もある。「パントキックを蹴りたくなったのは中学時代。GKからの1本のキックで大きなチャンスになるので、かなり練習してきました」と言う。

とにかくこの人の足元のテクニックとキックの質は出色だ。

ところがこれが裏目に出た試合もいくつかある。

14年10月18日、終盤戦に入った第28節、敵地でのベガルタ仙台戦だ。後半15分、那須大亮が西川にバックパス。赤嶺真吾が猛然とプレスを掛けてきたのに大きくクリアしようとも、逆方向の左サイドにつなごうともせず、また那須にボールを返そうとしたところで赤嶺の体に当たってゴールイン。那須に戻せば球が赤嶺にぶつかるのは確実なほど、パスコースはふさがっていた。

「見る意識は練習からやっているのですが……。逆サイドを見ることができていたら……。個人のミス。しっかり受け止め、この反省から成長していかないといけない」

これが決勝点となり、さらにこの後もう1点を失って浦和は2−4で完敗したのだった

先日の第1ステージ第2節のジュビロ磐田戦で献上した1点目にしても、高い技術が裏目に出た格好だ。前半30分、森脇良太の長いバックバスを受けた西川は、すぐ横の槙野智章にワンタッチで預けた。槙野は再び西川に渡そうとしたが、太田吉彰にフォアチェックを受けてボールを失い、先制点を決められた。

「バックパスに対してシンプルに蹴れば良かった。つなげると思ったけど、結果的に失点してしまったので反省したい。同じミスを繰り返さないようにしないと」

浦和は後半に追い付いたが、その4分後に失点を喫し、J1に復帰して2試合目の磐田に敗れたのだった。

とにもかくにも、既成のGK像とはかけ離れた選手。自ら「普通のGKでは終わりたくない」と言ってはばからないのだから、新しい試みに次々と挑戦しているのだ。大分でもチームメートだった梅崎司は、「今まで見たことのない異次元のGK」と西川の能力をこう表現した。

理想とするのは、現在世界最高級GKの一人と言われるドイツ代表でバイエルン・ミュンヘンのノイアーだ。「世界を見ても攻撃的なGKは多くなっているし、ノイアーはリベロの役割も担っている。見ているだけですごく勉強になる」と語り、攻撃の起点、前に出るアグレッシブな守備、1対1でのシュートストップなど全ての面でノイアーに追い付け、追い越せという目標を掲げる。

今季こそ浦和をJリーグ王者へと導く一助になるべく、並々ならぬ決意と覚悟を胸に秘める。「今年は移籍3年目。勝負のシーズンだと思っている」と力こぶを入れた。そういえば、広島のリーグ初優勝は西川が大分から移籍して3年目だった。

大分を去るとき、西川はクラブ事務所に張ってあるJリーグの啓発ポスターにこんなメッセージを書き残している。

「今までありがとうございました。これからも日本代表目指してがんばります。またいつか大分に戻ってこれるよう成長してきます。いってきます」

誰もが認める日本を代表するGKに成長した。西川は浦和で複数のタイトルを獲得し、ノイアーの領域に進出したあかつきには、大分に復籍するのだろうか。それは立派な心得ではあるが、もうしばらくは異次元のGKとして、浦和で異次元のプレーを見せてほしい。(河野正)

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