2001年、浦和レッズでプロのキャリアをスタートさせた『ギシ』こと山岸範宏選手が、ギラヴァンツ北九州の一員として臨んだ12月2日(日)の明治安田生命J3リーグ第34節・福島ユナイテッドFC戦を最後に現役から退いた。
2004年の浦和レッズのステージ初優勝や2006年のリーグ制覇に貢献、日本代表にも上り詰めたゴーリーは、その後に身を置いたモンテディオ山形でJ1昇格プレーオフの準決勝・ジュビロ磐田戦での劇的なヘディングゴールを決めるなどJ1復帰・昇格の原動力となり、また昨年からはJ3という舞台において、それまでと同様にチーム内で抜群の影響力を及ぼしながら存在感を発揮し、輝き続けた。
ギラヴァンツ北九州のシーズン終了のセレモニーが行われたミクニワールドスタジアム北九州のピッチ中央に置かれたマイクの前に立った山岸範宏選手の引退セレモニーは、同じく今季限りで現役を退く川口能活選手のビデオメッセージから始まった。ビジョンに映し出される川口選手の「浦和レッズ、モンテディオ山形、そしてギラヴァンツ北九州と、常に全力を尽くして必ず何かを残してきたギシ。これからはお互いにサッカー界に貢献できるように頑張りましょう」との言葉を、かみしめるような表情で聞いたのち、山岸選手は18年間のプレーヤー人生を振り返りながら、これまでかかわってきた人たちへの感謝の気持ちと、これからの自らの歩みについて、ギシさんらしい熱く、素直な言葉で口にし始めた。
《山岸範宏》
「ここ数年、『40歳でもピッチに立ちたい』との思いで日々精進してきました。その目標をこのミクスタでかなえることができました。目標を達成できた思いと、まだやれるんじゃないかという悔しい思いと、このユニホームを着てもうピッチに立つことはないんだなという寂しい思いと、いろいろな思いがあいまって、熟慮した上での決断ではありましたが、正直なところ、まだ気持ちの整理ができていないのが本音です。
2001年に浦和レッズに加入してプロのキャリアをスタートして、モンテディオ山形、そしてこのギラヴァンツ北九州と多くの仲間に囲まれ、指導者に囲まれ、濃密な18年間を過ごすことができました。1試合の勝利、その中での失点、または敗戦、タイトルを獲った歓喜、なかなか勝てない時期の苦しさ、悔しさ。この18年間でいろんなものを頂きました。それが今の僕をつくってくれていると思います。また今後の財産になっていくと思っています。
常に一緒に戦ってくれたチームメイト、時には厳しく、時にはほめてくれた数多くの指導者、ホームタウン、スポンサー企業の、ご支援をいただいた皆様、そしていつも僕の背中から多くのエネルギーと熱い気持ちで後押しをしてくれたサポーター、ありがとうの言葉だけでは語りつくせない感謝があります。
よく『ギシさん、ウチのチームに来てくれてありがとう』とサポーターの方々からお話をいただくことがありましたが、ありがとう、と言いたいのは僕のほうです。こんな僕をチームの一員として受け入れてくださり、信頼して、熱い気持ちを送ってくださったサポーターの方々に、ありがとう、と言いたいです。子供のころから何をするにも不器用で、言葉の表現もスマートではなく、何度も聞かないと身につかない自分でしたが、プロとして長く生き残っていくために、常に目の前の勝利をつかむことだけを意識して、その日に自分にできる最大限の努力をすることを意識してして取り組んできました。自分がなかなか試合に出られない苦しい状況でも、それを曲げることがなかったのが、僕の中での誇りです。
ケガの少ないこのような頑丈な体を授けてくれた両親、僕のサッカー人生を応援してくれている妻、三人のかわいい子供たち家族に支えられなかったら、この18年間はあり得なかったと思っています。今は少し離れていますが、本当にありがとうと言いたいです。
サッカー選手として山岸範宏の歩みは今日で終わりますが、サッカー人としての歩みはまだまだ続いていくと思います。再びピッチに戻ってくるために、自分が今まで培ってきた経験、財産、それを指導者として日本代表で活躍できるような素晴らしいゴールキーパーを育てるために日々、高みを求め、また全力で前進していきたいと考えております。この18年間で僕はたくさんの応援をいただき、たくさんの支えをいただきました。本当にありがとうございました」
(エルゴラッソ北九州担当 島田徹)
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