「REDSインタビュー」は、トップチームやレディースの選手、監督、スタッフ、関係者などのインタビューを掲載するコーナー。今回は浦和レッズOBで、今シーズン限りで選手の生活から退くことを発表した、おこしやす京都ACの原一樹選手にビデオ通話アプリ「Zoom」を使い、インタビューを行った。
(佐藤亮太)
RP:この言葉を使うのは少し早いのですが、まずは、お疲れさまでした。9月29日に投稿されたSNSで「引退」という言葉を目にしました。突然の発表のように思えたのですが、引退の理由、そして、なぜ、発表がこの時期だったのかをお話しして頂けますか?
原:まずは、来シーズン、おこしやす京都ACがJFLの舞台へ行くための、決意表明や意気込みという意味があります。チーム一丸となって、ひとつの目標に向かわせたいという意味でも、このタイミングとなりました。
あと、母の命日ということも、自分の中では大きな意味がありました。(母には)丈夫に生んでもらい、ここまでサッカーをやらせてもらいました。ここで、しっかりと決意をして、有終の美を飾れるように、という想いがありましたので、引退表明させて頂きました。引退に関しては、昨シーズンの時点で、少し悩むところでありました。プロでサッカーをやらせてもらったなかで、働くことによって環境が変わりますし、サッカーに費やせる時間が変わりました。そのなかで100%を出そうとはしますが、プロが抜けきれず、自分に納得できないと言いますか…。また、自分のパフォーマンスは年齢と共に、追い込むと、ケガをしてしまうようになってきました。もっとコンディションをあげて、以前の自分に戻りたいと思っても、そこで無理をして、短い時間でフィジカルトレーニングをすると、ケガをしてしまい、そんな現実に納得できませんでした。そうした想いからの引退の決断でした。
RP:引退発表の反応、数多くありましたね。
原:本当にたくさんの方から、コメントやメッセージを頂きました。本当に嬉しかったです。過去に所属したチームのサポーターの皆さんから、嬉しいコメントばかりを頂きました。浦和は1年しか在籍できず、自分としては不甲斐なく、チームになかなか貢献できませんでしたが、そこで応援してくれた方からも、「頑張ってくれた」と言って下さりました。あの時があったからこそ、ここまで続けられたと思います。これまで所属したチームには感謝したいですし、すべてのサポーターに感謝だな、と感じます。今後の励みにもなり、パワーにもなります。
RP:以前のインタビューで、現在、浦和レッズトップチームでコーチを務める平川忠亮コーチとのお話、エピソードがありました。その平川コーチへの報告はされたのですか?
原:引退発表の前の日に連絡を取らせて頂きました。「大事な話があるので、お話しよろしいですか?」と切り出すと、「なに?宝くじでも当たったの?」と(笑)。たぶん、内容は分かっていたと思いますが、「どうしたの?」と聞いて頂きました。
RP:お二人の関係性がよく分かる反応ですね。
原:その連絡で、ヒラさんとは、今後のことや浦和にいた時のことなどを話し、「シーズンが終わったら、京都へ遊びに行くから、その時、ゆっくりと話そう」と言って頂きました。いろいろな話をしましたが、感謝しかないです。ヒラさんはやはりデカくて、引退の話もスッと受け入れてくれました。こうした場合だと、「なんでやめちゃうの」と言われがちですが、ヒラさんは「一樹の決断だし、一樹が決めたことだから、お疲れさま」と言ってくれて…改めてデカいなと思いました。
RP:SNSでも触れていましたが、お母さまへの想いがとても伝わりました。
原:母が亡くなってすぐ、FC東京(2008年10月4日)との試合がありました。(※ この時、原選手はプロ2年目の清水エスパルス時代/試合は5対1で清水が勝利)FC東京戦前の1週間、一生懸命に練習しましたが、スタメンやサブにも入れない、という感覚が僕にはありました。そのなかでチームの中でアクシデントがあったため、急きょ、スタメンで試合に出ることができました。加えて、試合は大勝して、ゴールもできたことは、母がくれたチャンスだと感じました。
(ゴールシーンは)僕自身が、見たことがないトラップからのシュートでした。この時、亡くなった母が、力を貸してくれたと感じました。それから結婚して、子供が生まれて、家族ができましたが、この世にいない母に成長させてもらって、母の力を学ばせてもらいました。
今回の引退発表は、僕ひとりの判断ではできず、母の命日をキッカケに発信しようと思わせてくれました。本当に生きている時には分からなかったことが、亡くなって初めて気が付くことが多くあるのだな、と感じます。僕はヤンチャだったので、母は大きく見守ってくれたな、とか…。母はすごいな、と日々、感じています。
小さい頃の僕は、本当に行動範囲が広くて、いつも自転車で行動していました。いまに置き換えると、子供の行動範囲が広いというのは、親としては怖いものだと思います。自分が親になると分かるもので、子供たちのことを考えて「大丈夫かな」「心配だな」「携帯電話をもってね」と言ってしまいますが、思えば、あの頃は携帯電話なんてなかったですし、どこに行くのか分からないなかで、絶対に母は心配だったと思います。でも、「気を付けなさい!」とは言わずに、「楽しかった?」と言ってくれました。それはすごいな、と感じましたし、大きく支えてもらったと思います。無関心ではなく、僕のことを尊重してくれました。
RP:お母さまは、原選手の出場する試合をご覧になっていましたか?
原:父と一緒に、ほとんどの試合を見に来てくれました。母は運転が得意ではなかったので、父と一緒に週末、見に来てくれましたね。特に母が亡くなる前にもらった手紙には「いろいろなところに連れて行ってくれてありがとう。特長のない私だけれど、息子がサッカー選手になってくれて」という文面があって、それを読むと「ありがとう」というか…。こう話していても、泣けてきますね。母がそう想ってくれて嬉しかったですし、夢を託してくれたのだ、と思います。
RP:SNSに書かれてありましたが、「皆さんを笑顔にしたい」という文言がありました。これは今までも、そしてこれからも変わらない原選手の気持ちだ、と受け取りました。
原:これまで6つのチームでプレーさせてもらいました。そのなかで、その土地のサポーターに本当によくしてもらいました。街の人や、サポーターの方からの、たくさんの温かい応援がありました。そうした人たちに恩返しがしたいな、と思います。仮に僕が、「浦和大好き」となると、清水や京都や北九州のサポーターの方が応援しきれないように思えるので。大きくサッカー界を発展させ、Jリーグを盛り上げていく。また、すべてのサポーターに愛されたいなと思ったり、そのサポーターの力になれればと思います。何をするのかまだ形になっていませんが、多くのチームでプレーしたからこそ、たくさんの方に出会うことができました。だからこそ、できることを探したいですし、みんなをハッピーにしたいです。
RP:原選手が所属する『おこしやす京都AC』は、今シーズン関西リーグ1部を優勝。そしてJFL参入にむけた全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2021への出場を決めました。その大会が、今週11月12日から開催されます。大会は出場12チームを4チームずつ、3組に分かれてリーグ戦を行い、1位の3チームと、2位のなかで最も成績が良かった1チーム、あわせて4チームが決勝ラウンドに進み、優勝を争います。原選手にとっては最後の大会、バシッと決めたいですね。
原:負けてしまうと、1次ラウンドの3試合だけで終わってしまいます。勝ち抜いたとしても、決勝ラウンドで勝たないとたどり着けません。すべてにおいて、全力を出し切りたいです。すべての試合90分間まるまる戦うことはないと思うので、出た試合を全力でゴールを取り、勝ち切りたい。たとえ、出場できなくても、チームのために何ができるかを考えたいです。チームをJFLに連れて行って、有終の美を飾りたいです。これを目標にして戦いたいです。
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