「REDSインタビュー」は、浦和レッズの選手や監督、スタッフ、関係者などへのインタビューを掲載するコーナーです。今回は、佐藤亮太記者による坪井慶介氏の引退インタビューを掲載します。
2002年に浦和レッズに加入し、2019年を最後にピッチから退いた坪井慶介。彼に聞く、浦和レッズの強さとは、何か。(取材日:12月22日)
RP:坪井慶介さんは、選手生活のなかで、公式戦で2得点挙げています。まず、1点目。2003年5月17日。ファーストステージ第9節・駒場スタジアム(当時)でのガンバ大阪戦。4−3で迎えた89分にセットプレーから坪井さんが同点弾を決め、4−4のドローとなった試合でした。
坪井:そうです。ただ4失点のうち、セットプレーで2本、自分がマークについた選手にやられていたのです。山口智選手とマグロン選手に。あのとき、どうして身長が2メートル近くあるマグロン選手に僕がついたのかは分かりませんが(笑)。はじめは山口選手について、やられてしまい、そのあとにゼリッチ選手の交代があったと記憶していますが、そのためにマークが代わったのです。で、一番大きいマグロン選手をマークする選手がいなくなり、なぜか自分がつき、やられてしまったのです。
RP:プロ初ゴールというよりも、4失点したことが悔しかったのか。ミックスゾーンで、あまり多くを語らなかったと記憶しています。
坪井:はい。全然、嬉しくなかったです(笑)
RP:もう1つのゴールが湘南時代。2015年3月18日です。ナビスコカップのグループA第1節のホームゲーム、ヴァンフォーレ甲府戦で決めました。71分、セットプレーから得点を決めた試合でした。
坪井:あの試合は、1−0で勝てました。
RP:こう言っては失礼ですが、シュートではかなり苦労しましたよね。
坪井:幼い頃からシュート練習はほとんどしたことはありません。ずっと守備の人間なので、シュート練習をやらなきゃとは思いませんでした(笑)。みんなで流れからやるシュート練習はしていましたが、自分で居残り練習のようなことはしませんでした。
RP:よくゴールを決めたら、練習が終わりみたいなことをやっていましたが、よく最後まで残っていましたよね。
坪井:決め上がり、ですよね。レッズのときもそうでしたが、ジーコ監督のときの日本代表でもそうでした。ジーコ監督はよく“決めあがり”をやっていました。内心、「また“決めあがり”か。また残るな」と思っていました。案の定、だいたい残っていましたが。
RP:ここからは、どこまでお話しできるのかが分かりませんが、浦和レッズを離れてからだいぶ年月が経ちますが、坪井さんは、いまの浦和レッズをどうご覧になっているのでしょうか?
坪井:単純に離れてからも「浦和レッズは強いほうが良い」と感じています。会社の規模などはさまざまなことはありますが、そこは横に置いても、「あのスタジアム」に、「あれだけのサポーター」が入るチームが「トップにいる」ということは、サッカー界にとって、とても大事なことだと思います。ほかのチームから「あんなチームになりたい」「あのチームに行きたい」と思わせるチームであってほしいとずっと思っています。
そう考えると、いまは残念ですよ、少し。今季限りで引退し、縁があって、J1リーグ最終節のガンバ大阪戦の解説という仕事が舞い込んで、埼スタで直接、試合を見ましたが……。頑張っている、頑張っていないではなく、何かちょっと寂しかったです。
RP:さきほど、レッズは強いほうが良いとおっしゃっていましたが、その強さとは?
坪井:目に見える結果の強さはあります。それが勝負強さなのかもしれませんが……。僕自身は、メンタルの強さを見たかったです。あれだけのサポーターがいるなかで、ブーイングもある。そういう、あらゆる期待が大きいなかで、選手はやらなければならない。そこを力に換える強さ。たくさんの人の想いを背負っていける強さ。要するに、「レッズは声援がすごいから、プレッシャーやブーイングがすごいから力が発揮できない」と言っている選手が、もし、レッズのなかにいるならば、その選手は浦和レッズにいる資格はない。「僕たち選手というのは、そうしたものを求めているでしょ?」と思うのです。僕は、そういうことを求めて、浦和でプレーしたので。その部分の強さが欲しいですね。それが見ている人に、伝わるか、伝わらないか。たとえ負けていても、まだ諦めていないぞという姿とか。反対に大量得点で勝っていても、まだ次の1点を取りに行こうとしている姿とか。8−0だからって、1点取られても良いじゃなくて、必死になってゼロで抑えようとしている姿だとか。そうした姿を、あの最終節でも見たかったです。
RP:今後のことですが、「タレントで」ということで、かなり驚きましたし、その言葉が独り歩きした印象があります。
坪井:それでいいと思います。僕としてはこうした媒体や雑誌の取材だったり、解説だったり、頂ける仕事は何でもやります。そうした姿勢を「タレント」という言葉で表現しました。インパクトがあると思って。
RP:その一方で、現在、柏レイソルでコーチを務める井原正巳さんは、こんなことをおっしゃっていましたよ。「自分の引退試合のとき、ツボに運転手を頼んだのは、どこかツボを自分の後継者として考えていたから。ツボだったからこそ、頼んだのだ」と。だから、できれば「指導者」という道も選んでもらいたかったな、とも話していました。
坪井:そうですよね。お世話になった指導者の方からも、「そっか。指導者、やらないのか」と言われます。別に指導したくないということではなく、いまは成長したい、新たなことに挑戦したい気持ちがあるのです。正直、僕が進もうとする世界はやったことのないことばかり。周りは「ツボは何ができるの?」と見ているでしょうし、僕はそれで良いと思っています。ならば、僕は一生懸命やりますという気持ちですし、今後の人としての成長につながっていくと思います。いまは指導者というより、そっち(タレント)のほうに情熱が向いています。タレント活動のほうに情熱が向いているのに、指導者もやってみようとはできませんから。
RP:指導者と言えば、同期の平川忠亮コーチですが、今季は、かなり大変そうに見えました。
坪井:大変だったと思いますよ。指導者ライセンスを取得することを含め、いろいろな意味で、ヒラ(平川)も段階を踏んで、やりたかったと思います。チーム事情ですぐにトップチームのコーチになって……。彼はしっかりしているので、そのなかでも良い経験ができていると思います。現場のことはよく分かりませんが、ヒラ自身も自分ができる全力を尽くしていたと思います。それが、たとえ途中からトップチームのコーチになったとしても、思った順序ではなかったとしても。その状況、その状況で、何がベストなのかを判断できる人間がヒラなので。大槻さんにとって、大きかったと思います、ヒラの存在が。
聞き手:レッズプレス!!佐藤亮太