世界のサッカーを見回しますと、監督という職業は、なかなか厳しいもので、僅か1試合で解任されることも珍しくありません。その一方、20年間、同じチームで指揮を執る名将もいます。
また、監督のタイプもさまざま。
例えば、自分のサッカー観を推し進め、選手に対して「先生」のように接するタイプの指揮官。スター選手がそろう強豪チームでは、選手が気持ちよく試合ができるようにする「調整型」の指揮官がいます。
わが浦和のミハイロ・ペトロヴィッチ監督は、先生でもなく、調整型でもない、常にチームの中心にいる「父親」のような存在です。その父親ぶりは、11月10日(日)、アウェイ・ベガルタ仙台戦の監督会見でも見られました。
後半アディショナル・タイムで、まさかの失点。試合は3−3の引き分けでしたが、負けに等しい結果でした。選手、スタッフ、仙台まで駆けつけたサポーター以上に、ミシャは悔しかったはずです。しかし、ミシャは会見で「選手は勝利に値するプレーをした。よくやってくれた」話すなど、選手を決して批判せず、健闘をたたえるとともに「今回の結果を悲観せず、残り試合を全力で戦う」と話しました。また、勝った試合では、選手たちを褒めつつも、「あのシーンはもっと、うまくできたはず」と、反省も欠かしません。
勝った時には選手をたたえ、負けても選手を責めない。加えて「試合に勝っておごらず、負けて腐らず」。これが、ミシャの監督としての哲学。もしかすると、現役時代からの考えなのかもしれません。