プロ1年目の危機感が長谷部誠を成長させた
かつて浦和に所属し、今、海外で戦う選手にとって、大原サッカー場は「ふるさと」であり「原点」の場所です。現在、海外リーグがオフということもあり、オーストラリアで活躍する小野伸二や、ドイツ、ヘルタ・ベルリンに移籍が決まった細貝萌が、大原に姿を現しましたが、7月7日(日)はVfLヴォルフスブルクの長谷部誠が訪れました。長谷部はミハイロ・ペトロヴィッチ監督とがっちり握手をし、親交を深めました。
長谷部が大原にやってきたのは11年前の2002年。藤枝東時代、全く無名の長谷部がこの大原でプロの第一歩を踏み出しました。
加入した翌年の2003年、長谷部に初めてチャンスが訪れました。この年、初めての公式戦となった3月8日、ナビスコカップ予選リーグ第1節、鹿児島・鴨池(かもいけ)でのジュビロ磐田戦で公式戦プロ初先発を果たしました。しかし、この試合で長谷部は気持ちが空回りしてしまい、イエローカード2枚を受けて、退場となりました。今では「心を整える」で知られる長谷部ですが、負けん気の強さばかりが目立ったほろ苦いデビューとなりました。
ただ、長谷部は監督の信頼を得ながら、徐々に出場時間を延ばし、レギュラーの座をつかみました。2004年、20歳の時にナビスコカップ・ニューヒーロー賞、Jリーグ・ベストイレブンに輝き、優秀選手賞を4回、受賞しました。そして、2008年からヴォルフスブルクにわたり、6シーズン、その間、日本代表キャプテンをここまで3年、任されるまでになったのです。
なぜ長谷部はここまで駆け抜けることができたのか。その理由はプロ1年目にありました。
実はこの年、長谷部は出場したのは僅か1試合のみ。普通の選手なら、「ルーキーだから仕方がない。じっくり力を蓄えよう」と思いがちですが、長谷部は違いました。
「来年、試合に出られなければ、自分は終わってしまう」
そういった危機感でいっぱいでした。これが成長の要因となったのです。
こうした危機感を今の若手選手がより強く持っていれば、代表クラスがそろう今のチームに刺激を与えられるはず。たとえ無名でも、本人の気持ち次第で大きく成長できる。そのことを長谷部誠は教えてくれます。
2013/07/08放送(佐藤)
FM NACK5で毎週月曜日〜木曜日6:00〜9:00放送中の『WARMING−UP MUSIC』のコーナーで、浦和レッズのちょっといい話をお届けしている「ハートビートレッズ」(8:26頃放送、提供「埼玉県三菱自動車販売店連合会」)今週放送した中から、厳選した1本をREDS PRESSにて掲載します。