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REDSPRESS EYES|平川忠亮さんに捧ぐ 〜22日引退試合目前〜?|レッズプレス!!

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平川忠亮さんに捧ぐ 〜22日引退試合目前〜?

7月22日の「三菱重工カップ 平川忠亮引退試合」を控えて、元番記者が現役当時の平川忠亮さんについて原稿を寄せるシリーズ。



平川忠亮という選手を称するのに、私がよく使わせてもらった表現が「職人」だった。左右どちらのポジションもこなし、すべてのプレーがハイレベル。サポーターの方々はもちろん、我々レッズ番の記者から見ても安心できるプレーヤーだった。

誤解を恐れずに言えば、決してスポットライトが常に当たる選手ではなかった。だが、その実力は確かだった。一番印象深かったのは、2007年8月25日、ホームでのFC東京戦。スタンドには日本代表のオシム監督の姿があった。その試合で平川選手は圧巻の2アシスト。実はオシム監督は1週間前の甲府戦も視察しており、平川選手を見たいがために、2試合連続でのレッズ戦視察を決めたという経緯があった。

当時のレッズは大量に日本代表に招集される選手を輩出していたが、オシム監督は代表合宿のミーティングの中で「なぜ、レッズでは相馬ではなく、平川が試合に出ているのかわかるか」という話をしていたという。献身性、ポリバレントな能力、そして「考えて走る」という名将の口癖を体現できる選手という意味で、当時代表に呼ばれることが多かった相馬崇人選手を差し置いて、平川選手を「教材」として扱っていた。

その後は招集のタイミングが合わず、オシム監督自身も病に倒れたこともあって、残念ながら「日本代表・平川忠亮」は実現しなかった。だが、名将が認めた男は同年のACL制覇に貢献することで、しっかりと存在感を示した。サッカーに限らず、組織はスターやエース級を揃えただけでは回らない。「自分なんかまだまだですよ」と謙遜しつつも、秘めた闘志は黄金期のレッズの中でも随一のものがあった「背番号14」。こんな選手はやはりレッズの赤いユニフォームがよく似合う。

(元東京スポーツ・瀬谷 宏)

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