成績不振で解任された下平隆宏監督に代わり、4月8日から浦和レッズOBの早川知伸新監督(43)が横浜FCの指揮を執っている。21日のルヴァンカップ予選リーグC組第3節で、古巣と対戦する。
5日にクラブから監督就任の可能性を告げられ、サンフレッチェ広島に0−3で完敗した7日夜に正式に要請された。選手、指導者として横浜FCで19年目を迎え、チームを知り尽くした男に低迷脱却の使命が託された格好だ。早川監督は昨季からユースチームを率いていた。
就任会見では「残留を求められている。監督になればこの先は解任や辞任しかない。このクラブでの最後のミッションと位置付け、トライさせていただきたい」と所信を述べた。
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浦和OBと言っても公式戦出場は3年間で2試合とあり、あまり知られていないかもしれない。
早川は浦和が初めてJ2に陥落した2000年、順天堂大学から加入した183センチの攻撃的MFだ。足元の技術が高く、繊細なパス出しとしなやかなドリブルが印象的だった。静岡・清水商業高校の2学年下には、平川忠亮や小野伸二がいた。
浦和では鈴木啓太と千島徹が同期だ。1月30日の加入会見で「早く試合に出て頑張りたい。大学ではFWもやったが、中盤が本職だと思います。プロになったからには、サッカーで食べていくんだという高い意識を持ち、存在感のあるプレーをしていきたい」と決意表明した。
紅白戦や練習試合ではFWか2列目を担当したが、1年目はトップチームの公式戦に絡めなかった。リーグ戦とナビスコカップ(現ルヴァン杯)はベンチ入りすら1度もなく、埼玉SCとの天皇杯1回戦に後半22分から左ウイングバックで起用されたのが、唯一の出場だった。
チッタ監督が着任した01年は、サテライトリーグ9試合でチーム最多の4得点を挙げた。出番は回ってこなかったが、第1ステージのジュビロ磐田戦でリーグ戦初のベンチ入り。そうしてピッタ監督に代わった第2ステージ第6節の鹿島アントラーズ戦で、念願の先発出場を果たす。右ウイングバックとして、豪胆な攻め上がりと堅実な守備を披露。しかし後半42分に永井雄一郎のゴールで1−1とし、延長戦に入った矢先の4分、左ひざ内側側副じん帯断裂で全治3カ月の重傷を負う。記念のJ1デビュー戦が、残りシーズンを棒に振る悲運に一変してしまった。
早川は試合後、「失うものはないし、思い切りやるだけでした」と痛々しい顔付きでこう振り返った。
3年目は公式戦で1度も控えメンバーに入ることもなく、翌年当時J2の横浜FCに完全移籍することになった。12月14日の最後の練習で顔を合わせた私は、「あまり原稿にできなくてすまなかった。横浜では頑張って」と声を掛けると、早川は「いつも気にしてもらい、ありがとうございました」と頭を下げた。メディアに登場する機会は極めて少なかったが、人柄のいい好青年であった。
横浜FCでは移籍した秋から先発に定着。07年のJ1開幕戦では、浦和の永井やワシントンを厳しくマークしてフル出場した。10年に引退するまでセンターバックの主力として活躍。08年は8月から12月までジェフ千葉に期限付き移籍し、J1残留に手を貸した。引退後は下部組織で指導者としてのキャリアをスタートさせ、15年から19年まではトップチームのコーチを務めた。
05年から6年間ともにプレーした三浦知良からは、「ハヤがやりたいサッカーをやればいい。全力でサポートする」と励まされたそうだ。
早川監督は古巣との対戦について「ひとつのゲームとして考えている」と過剰な意識はないようで、「浦和はボールを握ることに特化しているチームなので、それに対してどうやれるかだ。スキはあると思う。一番勝利を求めている選手たちがやってくれると信じている」と結んだ。
昨季のプレミアリーグ関東の浦和ユース戦は3−1で逆転勝ちした。トップチームでの再現なるか−。
写真提供:©YOKOHAMA FC
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