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REDSPRESS EYES|永井雄一郎が現役を続ける理由。「サッカーができる環境に身を置いていたかった」|レッズプレス!!

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永井雄一郎が現役を続ける理由。「サッカーができる環境に身を置いていたかった」

今回は、いまも現役を続ける元浦和レッズ・永井雄一郎さんの取材レポートをお届けします。



(河野正)


横浜マリノス(当時)の井原正巳、小村徳男という日本代表DFが、18歳の巧みなフェイントに、何度もきりきり舞いさせられた。高校出の新人がJリーグ開幕戦に先発するのは、浦和レッズ史上初の出来事。主人公は、細身の二枚目FW永井雄一郎だ。記憶に残る浦和の選手として10傑に入る男の歴史が1997年4月12日、浦和駒場スタジアムで幕を開けた。

衝撃のデビューから、もうすぐ四半世紀。2月14日に42歳になる永井は、新シーズンも現役を続行し、神奈川県社会人リーグ2部のはやぶさイレブンで、プロ25年目を迎える。

浦和には97年に加入し、2008年まで在籍。この間の、忘れ得ぬトピックスは枚挙にいとまがない。

リーグ通算51得点は歴代5位で、リーグ戦では当時のチーム最年少出場、最年少得点を記録。年齢の関係で世界ユース選手権(現:U−20ワールドカップ)に2度出場。03年に福田正博の背番号9を継承し、同年の日本代表デビュー戦でいきなり得点。04年の東京ヴェルディ戦では60メートルを運んでハットトリックを完成させた。ガンバ大阪戦は06年度の天皇杯決勝、07年のリーグ首位決戦で、いずれも決勝点。07年のアジア・チャンピオンズリーグ決勝第2戦では、決勝ゴールを挙げて最優秀選手に輝く……。記憶に残り、記録も残した選手である。

09年にJ1清水エスパルスへ、12年にはJ2横浜FCへ移籍。この5年間はJリーガーとしてプレーした。

しかし、アマチュアの地域リーグ、関西リーグ1部のアルテリーヴォ和歌山への転籍は周囲を驚かせた。準優勝した99年の世界ユース選手権の同僚、辻本茂輝が和歌山の監督に就任した時期に加入を打診された。タイのチームからも誘われ、オーストラリアのクラブやJ3に昇格したSC相模原に進む選択肢もあったが、三菱養和SCと浦和で1学年先輩だった現:水戸ホーリーホック・西村卓朗GMの「いろいろなことが見えるし、経験できるから面白いと思う」との助言で、14年に和歌山入りを決めた。

「カテゴリーが下がっても、本気でJリーグ入りを目指すチームの一員になれた喜びがありましたね。プロ契約していたのは僕だけで、みんな仕事をしながら一生懸命サッカーにも打ち込んでいた。そんな姿勢に刺激を受け、自分もやらなきゃいけないって思いが募りました」

和歌山とは1年で契約満了となったが、次なる新天地も99年の世界ユース選手権の同僚が縁となる。J2ザスパクサツ群馬のヘッドコーチに就いた氏家英行から声が掛かり、練習生として参加した合宿を経て加入。1年契約で、3シーズン在籍した。

群馬を退団した後、埼玉県社会人リーグのアヴェントゥーラ川口から監督兼任での申し出があったが、プレーに集中したいという想いから固辞。横浜FCの公式パートナー企業が運営する、神奈川県社会人リーグ1部のFIFTY CLUBに加入した。

クラブ代表からは「県リーグでやるの? Jリーグの感覚で来られても困る」と言われたそうだが、永井は「少しでも給料をもらえ、サッカーができる環境に身を置いていたかったのですよ」と述懐する。

不惑が迫ってきた年齢だというのに、永井は、現役であることにこだわり続けた。サッカーへの旺盛な情熱が冷めることはないようだ。

かの横浜Mとの開幕戦には、永井と同期のDF田畑昭宏も、ギド・ブッフバルト、バジール・ボリとともに3バックの一角でフル出場。田畑は05年にコンサドーレ札幌で引退し、プロのキャリアは9年だった。

現在は、浦和のフットボール本部でスカウトを担当する田畑さんは「県リーグでプレーするとは思わなかったし、ここまで続けているのはすごいことです。本当にサッカーが好きなのですね」と驚きを隠さず、「現役でいながら、解説者もしている。人と同じことをしないあたりは、永井っぽいですね」と盟友を評した。

永井は18年からスポーツ動画配信サービスのDAZNで、Jリーグや海外サッカーの解説をしている。

FIFTY CLUBで2年プレーし、昨季からは厚木市を拠点とする神奈川県社会人リーグ2部、はやぶさイレブンに移籍。指揮官は、浦和で2年半同僚だった阿部敏之監督だ。カテゴリーは2部になったが、「今は生活からサッカーがなくなることへの恐怖心が強い。サッカー以外に何もできないので、1年でも長く現役を続けたい」と語る口ぶりから、サッカーへの熱量が伝わってきた。

昨季はケガが重なり、リーグ戦には1試合しか先発できなかった。1部昇格を目指す今季は、コーチ兼任となって役割も多くなるが、「コンディションを上げて出場数を増やし、得点も決めたい。教え方は、阿部さんに習います。どんな環境でもやらないといけないのが社会人ですから」と節目の25年目へ意欲を示した。

チームは2月11日に合同練習を開始。強化策の一環として、3月から練習日が週4回に増える。永井は経費を抑えるため、横浜市内の自宅から、一般道路で1時間半かけて厚木市内の練習場まで通い、さらに燃費を考慮して、軽自動車も購入した。

浦和時代は高級外車ベンツを所有していたが、サッカーのためなら、もう体裁など取り繕わない。この人のほとばしる鋭気に感服した。

(書き手/ライター河野正)


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