今回は、U-17W杯で活躍した浦和ユース所属の鈴木彩艶選手について。U-17W杯を現地で取材した川端暁彦さんのレポートをお届けします。
浦和レッズジュニアに所属する小学生が、浦和レッズユースのゴールマウスに立つ鈴木彩艶(すずき ざいおん)に声援を送っていた。浦和が念願叶ってジュニアを立ち上げた際の一期生が鈴木である。圧倒的な存在感で、浦和のみならず日本のゴールも守る、189センチ・91キロの大きな「先輩」が特別な存在になっていることは想像に難くなかった。
U-17W杯の期間中に話を聞いているとき、ふと思い立ってこのときに聞いた話をぶつけてみた。「ジュニアの選手たちの憧れでもあるようだけど」と。返ってきたのは、こんな答えだ。
「僕もジュニアにいた時に、上の代の先輩選手たちのプレーを観て憧れていたんです。だからそうやって応援してもらえるのは嬉しいですし、少しでも目標に思ってもらえるような選手でいたい。もちろん、浦和レッズを代表してここにいるんだという気持ちも持って戦っています」
今回のU-17W杯は自身3度目となる世界舞台だった。ただそれは、2年前のU-17W杯、今年のU-20W杯と8試合をベンチで過ごした苦味のある経験でもある。飛び級で二つの大会に出ている以上、今大会へ無理して行く必要はないと思われそうなところだが、本人は「絶対に行きたい」と断言。「行けば必ず試合に出られるなんて甘いことは思っていないですが、それでも『今度こそ自分が』という気持ちがある」と闘志を燃やしていた。
いざ大会が始まれば、そこで示した存在感は抜きん出たものがあった。オランダとの初戦は開始早々にライン裏のカバーに出て空振りをする、らしからぬ凡ミススタートだったが、そこからの立て直しが素晴らしかった。ミスを引きずらないのは良GKの証である。結局、グループステージは無失点。「ほとんどシュートが飛んでこなかったので」と本人は謙遜するが、正確な補球能力も際立っていたクロスへの対応を含め、その安定感が「死のグループ」での無失点突破に貢献していたのは間違いない。ちなみにグループステージで3試合クリーンシートを達成したのは、参加24カ国で日本だけである。
素早い判断から前線へと供給されるパントキックやロングキック(あるいは強肩を活かした遠投)の質の高さも目を見張るものがあった。本人は西川周作のキックに憧れていると以前に話してくれたことがあるのだが、日々の努力による質の向上と、成長期を過ぎての筋力の向上と共に飛距離も伸び、より脅威になってきている。彼の後ろからキックのトレーニングをずっと観ていたこともあるのだが、本当にブレることなく、ターゲットに定めた選手にスッポリと収まるキックを連発するので、舌を巻くしかなかった。「これだけでお金を取れるのでは?」と思える精度である。
もちろん、GKとして最も重要な、守るほうの能力も高い。上野優作コーチがユース監督をしていたとき、「ゲーム形式の練習とかをしていても、彩艶がいると全然シュートが決まらないんですよ」と笑って話してくれたことがあるのだが、恵まれた体躯と磨き抜かれたスキルを活かしたセービング能力はユースレベルを超えている。Uー17W杯においても、日本が最悪のチームパフォーマンスを示してしまったラウンド16のメキシコ戦、この男の好守がなければ、ゲームは早々に決着していたかもしれなかった。
もっとも、そのメキシコ戦について問われて漏れてきた言葉は、ひたすら反省の弁である。1失点目は自身のキャッチミスから与えてしまったCKが始まりだったし、2失点目に関しては、DFの対応が甘かった点について「もっと自分が強くコーチングするべきだった」と振り返る。そして何より「GKとしてミドルシュートで失点するのは本当に悔しいです」と苦渋の表情を浮かべる。「そこで打ってくるのか」と驚いたというシュートのタイミングを含めて、世界レベルの凄味を感じた瞬間でもあった。
5月のUー20W杯では、チームスタッフから「あんなに良い子がいるんですね」と驚かれたほど、献身的にチームを支えた。第3GKだったからかと言えば、そうではない。主軸GKになった今大会も、変わらず率先して用具を片付け、そのときと同様に「チームのために」振る舞う姿が印象的で、これこそ鈴木彩艶が持つ大切な資質なのだろうと納得しつつ、思い出したことがある。
大槻毅監督がユース監督だったとき、新1年生として加入したばかりだった鈴木彩艶について「練習へ臨む姿勢がいいし、すごく謙虚に学ぶ姿勢がある」と、体でも技でもなく、「心」の部分を高く評価していると言っていたのが印象的だった。恵まれた体躯や高度な技術に目を奪われがちだが、それを磨いて育てる心の部分に、浦和の未来を担うGKの真骨頂はある。
初めて正GKとして臨んだ世界大会は悔恨ばかりを残す結末になったが、心優しき守護神の道は間違いなくまだ始まったばかり。苦い経験を糧にさらなる努力を重ねた“浦和の男”が、埼玉スタジアムのゴールマウスに立つ日を静かに待ちたいと思う。
(取材・文/川端暁彦)
《川端暁彦氏プロフィール》
1979年8月7日生まれ
大分県中津市出身
2002年から育成年代を中心とした取材活動を始め、2010年からは3年にわたり、サッカー専門新聞「エル・ゴラッソ」の編集長を務めた。
著書『Jの新人』(東邦出版)ほか