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練習レポート

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鈴木啓太引退会見「最終的にあきらめない人が何かをつかむことができる」

「練習レポート」は、大原サッカー場の模様を、ほぼ毎日更新するコーナーです。


1月10日(日)午前11時から、さいたま市内のホテルにて鈴木啓太引退会見が行われた。約50分間におよぶ会見には、報道陣が約50人が駆けつけた。会見冒頭では、名曲「マイウェイ」にのせ、プロ16年を振り返るように、シーズンごとの鈴木啓太の写真が映し出された。

会見に臨んだ鈴木啓太は今後について、指導者の道ではなく、コンディションやパフォーマンスを高めるなど、選手を側面からサポートする自身の事業をすすめるとともに、浦和レッズとの関係を続けながら、サッカー文化の発展・浸透に寄与することを語った。淡々と、時に笑いをまじえながらの会見。最後の最後まで鈴木啓太らしい会見だった。

《鈴木啓太》
思えば16年間、この浦和レッズという偉大なクラブでサッカーができたことを幸せに思う。また(16年間を)あっという間だったなと実感している。

Q:今後について

A:自分自身、サッカー界から恩恵を受けてきたので、還元したい気持ち。浦和レッズとずっと関わりを持ちたい。これから淵田社長をはじめ、ゆっくりと話していきたい。また、スポーツ科学分野が盛り上がっている中、選手のパフォーマンスやコンディションを整え、向上させる1つのプロジェクトに力を注ぎたいと考えている。外から選手のコンディション、パフォーマンスを整え、向上させることは一般の人にも還元できないかと考えている。自分自身、いろんなことにチャレンジをしたい。解説のお話を頂いたり、チームメイトからは読者モデルと言われたり(笑)。サッカー界での、今までの自分の経験からサポートしたいと考えている。

Q:将来、指導者になるか?

A:自分自身、指導者になりたいかどうかと言われた時、正直に答えるとイエスではない。監督を選手の立場から見て、とてもストレスの掛かる仕事。いろいろな形でサッカーの文化というものを上げていかなければならない。監督をやるとすれば、浦和レッズの監督は偉大すぎる。小学生だったり、幼稚園生であったり、子供たちを指導することに携わりたい。ただ、これは今思っていることなので、どう考えるかどうか分からない。淵田代表がいますが、浦和レッズの社長の方が興味はあります(笑)。

Q:16年間のプロ生活では、ハンス・オフト監督やイビチャ・オシム監督など、さまざまな指導者の下、戦ってきました。それぞれ思い出はあると思いますが。

A:忘れてはいけないのは、ミシャがいますが(笑)。オフト監督は自分が3年目から監督になられて、「サッカーというものは、こういうものだ」と教わったように思える。また、若手を積極的に起用してくれ、チャンスをもらった監督だった。オフト監督は小さなころにワールドカップで日本代表を率いていて、すごい怖そうな人に見えたが、実際、話をすると、温厚で誠実で、どんな選手に対しても公平に接していた。使われない選手にも誠実に対応していた記憶がある。そこで浦和レッズの土台が築かれたのが真実。僕にとって感謝している監督。

また、オシムさんは、僕が日本代表に入るキッカケを作ってくれた。本当の先生、指導者。本当に怖い、何を考えているのか分からないイメージがある。実際、選手たちも感じていたと思う。僕の引退に関して(オシム監督からの)メッセージを送っていただいた。僕はオシムさんに「水を運ぶ人」と言われ、あまりスポットライトが当たらなかった僕に、うまい言葉でスポットライトを浴びせてもらった。そのメッセージには「指導者になってほしい」と書かれていたが、指導者はちょっと……という思いなので、オシムさんに会いに行くことは怖いかなと思う。オシム語録などがあるが、それらの言葉を教訓としていきたい。

あと、忘れていけないのがミシャ。2010年、なかなかコンディションやパフォーマンスが上がらなかった時、実際、もうサッカーをやめようかなと思った時期だった。翌年の2011年、残留争いをして苦しいシーズンを送り、いろいろとどうしようか、このまま浦和レッズにいても力になれないと感じていた。その中でミシャが来て、自分が背負っている重荷やプレッシャーに「お前、そんなこと考えなくていいんだ。毎日、大原に来てサッカーをやりたい。サッカーを楽しくやりたい、そう思ってくれ」と言われた時、僕の第二のサッカー人生が始まった。ミシャは、本当のサッカーの楽しさ、子供のころ、『こうやってサッカーしていたな』という気持ちをもう一度、呼び起こしてもらった監督だった。

僕とミシャとの時間の中では、タイトルは取れなかった。これからの浦和レッズで頑張ってほしいし、僕がミシャの力になれることがあれば、いつでも力になりたい。

Q:若い選手にとって手本になるキャリアを積んできたが、伸び悩む若い選手、あるいはプロを目指す学生、子供たちにアドバイスがあれば。

A:僕が好きな言葉にオシムさんの「知恵と勇気」という言葉や、オシムさんではないが「努力は運を支配する」という言葉がある。「知恵と勇気」というのは考えているだけで、行動しないというのは間違っているということ。一方、考えないで行動することも間違っているということ。いろいろ考えて行動しろという意味と考えている。若い選手にも知ってほしい。

「努力は運を支配する」という言葉だが、僕はサッカー選手として決してうまい選手ではない。ただ、それでも最終的にあきらめない人が何かをつかむことができる。僕はたまたまサッカーで16年間、プレーできたが、誰もが16年間できることもでないし、誰もが成功できることではない。サッカーで学んだことを生かしたいし、それ以外のことでも共通して言えること。

ただ、そこには100パーセント情熱を注げたかどうかが大切になる。僕は何事にも一生懸命100パーセント、情熱を注いできた。成功してもいい、失敗してもいい。でも、チャレンジしないことは間違っていると若い選手に、そしてこれからサッカー選手を目指す子には話している。

誰もがメッシやクリスティアーノ・ロナウドになれるわけではない。努力したからといって到達できるかどうかは分からない。でも、それは誰にも分からないこと。誰にも分からないということは100パーセントやらなければ、そういう権利もない。自分の情熱を全て注ぎ込んでほしい。

Q:この選手に出会って、サッカー人生が変わったといった選手、対戦相手はいましたか?

A:うまい選手はたくさんいたので、挙げればキリはないが、プロに入って、衝撃を受けたのは意外かもしれないが、内舘(秀樹)選手(笑)。僕は正直、内舘選手のことを知らなかった。初めての合宿……、鹿児島の指宿合宿だったが、ボール回しをして、自分も若かったので、年上の選手には負けないとやっていたが、内舘選手は、1つのトラップで状況を変えてしまった。身体をぶつけたくても、ぶつけられないプロのすごさを感じさせてくれたのが内舘選手だった。その時、「自分はまだまだだな。プロの世界は厳しいんだな」と感じたことが思い出に残っている。ほかには中村俊輔選手だったり、小野伸二選手だったり、衝撃はあった。海外の選手はキリがない。プロとして気付かされたのは、「プロは、このくらいやれなければいけない」と内舘選手が教えてくれた。

Q:16年間の中、思い出のある試合は?

A:うれしかった試合、チャンピオンになった試合はとても印象に残っている。クラブにとって個人にとっても大きいものだが、印象に残っているのが、2011年のアビスパ福岡戦。ホームでも、アウェイの残留の懸かった試合でもそうだった。

当時、キャプテンを務める中、非常に苦しいシーズンを送っていた。ホームの福岡戦(J1第17節)で、この試合に勝たないとマズイという状況だった。緊張感のある中、自分がゴールを決め、3−0で勝つことができた。まず、そこでホッとした気持ちと、さらに状況が難しくなった中、アウェイの福岡戦(J1第33節)を迎えた。

キャプテンを務める中、このクラブは再びJ2に落としてはいけないと強く感じていた。僕は浦和がJ2で戦った年に加入したが、その時の苦しさ、試合の難しさを感じた。そこから浦和レッズが良い時期を迎えて、これだけ自分たちが良い思いをさせてもらう中でサポーターやクラブスタッフの悲しい顔を見たくないと戦い、絶対にこのクラブはJ2で戦うような状況にしてはいけないと思い、戦った。試合は先制点取られる苦しい状況だったが勝てたことが印象に残った試合(2○1)。ACLの決勝戦よりも大きな試合だった。

浦和の男・鈴木啓太掲示板

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