(有賀久子)
宇賀神友弥「浦和という街、浦和というクラブのために、すべてをかけて戦ってきた」
宇賀神友弥が選手生活から退くことを発表し、一夜明けたきょう11月26日(火)、公開練習後の13時30分から、大原サッカー場のサポーターズルームで、現役引退記者会見を開いた。この会見模様は、クラブ公式YouTubeで配信されている。
きのうは発表後、スマホが鳴り止まなかったという。「LINEが来たり、電話が来たりで、(SNSでの反応も)なかなか落ち着いて見る時間はないですけど、少し拝見させて頂くと、“宇賀神さんのプレーを見て、日々、元気が出ていました”とか、“自分の人生を変えてくれました”とか言ってくれる人もいました。多くの人に、そういう影響を与えることが出来たというのは、改めてサッカー選手冥利に尽きるなという風に感じています」と笑顔を見せた。
背番号35。宇賀神はユニフォーム姿で会見の場に臨んだ。一度はクラブから契約満了を言い渡され、FC岐阜を新天地とし、2シーズンにわたり、プレーした。そして今シーズン、自身も加入会見で「まさか、こういう形で……」と話していたが、再び声が掛かり、心残りであったJリーグ優勝、シャーレを掲げるために、浦和の漢として戻ってきた。
「引退しに来たわけじゃない」。1月の会見で、宇賀神が残した言葉だ。
沖縄・金武町キャンプから難しい立ち位置にいても、4月に訪れたルヴァンカップでメンバー外という悔しい思いを経験しても、ピッチに立つ時の宇賀神は、“常に100%”。プロサッカー選手として大切なことを仲間に伝え続けた。
今回の会見も「今シーズン、まだ終わっていない。そういう気持ちも含めて、スーツではなく、ユニフォームという姿で会見に挑まさせて頂きたいと思います」と意図に触れた。多くの笑顔が見られた時間であったが、何よりも浦和レッズを強くしたい、そのために必要なことは何かを丁寧に伝える、熱い会見となった。
その一部をお届けしよう。
Q:引退を決めたキッカケは
A:今シーズン、浦和に戻ってくることになって、最初の会見で「引退しに来たわけではない」ということを言わせて頂きました。その中で、シーズンが進むにつれ、自分の立ち位置、立場というものが分かってくる中で、その中でも、もう、とにかく試合に出るために、毎日、全力でやり続けてきました。もちろん、その間に、クラブともいろいろな話を続けていく中で、やはり、試合に絡めない、全く、監督の構想に入っていないというのが分かりながらも練習をするのはかなり厳しいなという話を、堀之内さんとよく話をさせて頂いている中で、自分なりに“ここまでなのかな”ということを、ずっと、日々、葛藤していました。で、2週間前ぐらいですかね。チームとも話をしていく中で、“来シーズン以降、自分も、このクラブの力になれるのかどうか、すごく悩んでいるところがあります”という話をした時に、“選手としてはもう、ここまでなんじゃないか”という話をされた時に、浦和レッズの力になれないのであれば、ここで終わるべきなんだなと思って、そこで決断することにしました。
Q:引退発表に残したメッセージに、“「宇賀神友弥」というプロサッカー選手として、1人の人間として、そして浦和の漢としての生き様を見せることはできたのではないかと思っています”と残していたが、その生き様とは?
A:自分自身、決してサッカーが上手い選手ではないと思いますし、何か飛び抜けた能力があるわけでもないと思っています。ただ、日頃から、そしてピッチに立った際には、最後の笛が鳴るまで100%で戦い続ける、その背中を見た後輩たちが、また、このチームのために戦ってくれるというような、僕がたくさん、いろいろな先輩たちから見せてもらってきたものを、またそのピッチで示すことが出来たというのが、浦和の漢としての生き様だったんじゃないかなという風に思っています。
Q:自分自身、誇れることは何か
A:浦和レッズというクラブは、本当に熱いサポーターがたくさんいて、浦和という街を大切にしていて、というところがすごく印象として強いと思うんですけど、その浦和という街、浦和というクラブのために、すべてをかけて戦ってきたということが、自分自身、一番自信を持って引退できることだな、と。埼玉スタジアムのピッチというのは、日々の努力を披露する場だと思うんですけど、そのためには、日々の練習が大切で、その練習というのも、1日も手を抜くことなく、100%でやり続けた15年間だったんだなというところが自分としてもすごく誇らしいですし、褒めてあげたいですね、自分を。
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