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REDSPRESS EYES|興梠慎三、サポーターへ3つのお願い|レッズプレス!!

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興梠慎三、サポーターへ3つのお願い

(有賀久子)



興梠慎三、サポーターへ3つのお願い


2024年12月8日(日)、アルビレックス新潟戦をもって、興梠慎三はプロサッカー選手としてのキャリアに区切りをつけた。

63分に交代でピッチを去る時には、両チームの選手が花道を作ってくれ、松橋力蔵監督や控えメンバーに名を連ねたトーマス テ?ンが握手で労ってくれた。試合後の引退セレモニーでは、浦和レッズの選手たちがレッドカーペットの両側に並び、興梠を出迎えた。

強い風に吹かれながら、興梠の第一声は「寒いです」で笑いを誘ったが、興梠の誠実さ、真剣さ、温かさ、そんな人柄がつまったスピーチであった。そして、大事な引退スピーチの中で、興梠が発した3つの願いの1つ目は、絶対に風化させてはならないことである。


本日をもって、私、興梠慎三は現役を終えることになりました。

いろいろな指導者に出会い、たくさんの仲間と出会い、本当にいろいろな人に支えてもらって、20年間、現役を送ることができました。

本当に感謝しています、ありがとうございます。

マチェイ スコルジャ監督、最終戦という大事な試合にも関わらず、僕とウガ(宇賀神友弥)を使って頂き、ありがとうございます。本当に感謝しています。

今日は、宮崎から、たくさん、この埼玉スタジアムに足を運んでくれています。中学、高校の友達、そして鵬翔高校サッカー部の監督である松崎(博美=まつざき・ひろみ)監督、あなたと出会って、こうしてプロサッカー選手になることができました。そして、サッカーの楽しさを教えて頂きました。本当にありがとうございます。

母、このような場で、感謝の気持ちを伝えることは少し照れくさいですが、ひと言だけ言わせて下さい。あなたのもとに生まれてきて、本当に僕は幸せ者です。心の底から尊敬しています。これからは自分の時間を作りながら、ほどほどに仕事の方を頑張って下さい。そして健康で、身体に気をつけて、長生きして下さい。ありがとうございます。

父は、5年前に他界しました。僕が鹿島から浦和レッズに来る時に『浦和レッズのTV番組に出演する』と意気込み、鹿島アントラーズのTシャツを着て、テレビ番組に出ていました(笑)そんなおっちょこちょいな親父ですが、浦和の街、浦和レッズを本当に愛していました。願いがひとつ叶うのであれば、生きている間に、僕の、この晴れ舞台を見て欲しかったです。おそらく今、天国で、大好きなお酒を呑みながら、この光景を目に焼き付けていると思います。いずれかは僕も、そちらの世界に行くことになると思いますが、その時は大好きなお酒を呑みながら、浦和レッズのことを語り合いましょう。ありがとうございました。

そして、パートナーの皆様、監督をはじめ、コーチングスタッフ、メディカルスタッフ、浦和レッズに関わる関係者の皆様、スタッフの皆様、本当に11年間ありがとうございました。

一番大切な人を忘れていました。

僕を身近で20年間支えて下さった妻のリカ、あなたがいたからこそ、ここまで現役を続けることができました。サッカーに関しては、無関心な妻ですが、あなたが言う、ひと言、ひと言、僕はすごく成長させられました。本当に感謝しています。ありがとうございます。

娘のルナと息子のルイ、これからは、サッカー選手として、格好良いパパは見せられないですけど、あなたたちのお父さんとして、これから格好良いパパでいられるように頑張りますので、これからもよろしくお願いします。

そして選手たち、今年は、残留を争うようなシーズンになってしまいました。来年こそは、優勝を争うようなチームになってくれると信じています。浦和レッズの1人のファンとして応援し、サポートしていきたいと思います。本当にありがとうございました。

タカ(関根貴大)、元気、ウガ、周ちゃん(西川周作)、あなたたちとは長年、共に、このクラブで闘ってきました。嬉しいシーズンより、悔しいシーズンの方が多かった11年間だと思います。それでも、あなたたちと過ごした11年間、本当に僕の財産となりました。これからは、ウガと僕は、あなたたち、選手たちを、全力でサポートしていきます。僕とウガが、このクラブで成し遂げられなかったJリーグのタイトルを、是非、獲って下さい。応援しています。



最後になります。
サポーターの皆さんに3つだけ、僕からお願いがあります。

1つ目は、今年は天皇杯を闘うことができませんでした。天皇杯は、これまで、なかなかチャンスをもらえなかった若い選手からしてみれば、大いにチャンスをもらえる大会でもあります。そのチャンスを潰してしまったということは、心のどこかに刻んでおいて下さい。

もちろん、ふがいない試合をしたからという、選手たちの責任でもあります。問題を起こしたサポーターは、おそらく、自分より、長く浦和にいて、僕よりも、浦和レッズを愛していた人たちだと思います。もう、これ以上、そういう人たちを失いたくはありません。

あなたたちサポーターは、僕にとってはヒーローです。ヒーローは格好良いなくてはなりません。これからは格好良い言動、格好良い行動で、これからも浦和レッズをサポートして頂けたらと思います。よろしくお願いします。

2つ目は、先ほども言った通り、今シーズンは残留を争うようなシーズンになってしまいました。来年こそは優勝争いをしてくれると信じています。サポーターの皆さんも浦和レッズを信じて、そして、ここにいる選手たちを信じて、今まで通り、熱い声援の方をよろしくお願いします。

最後になります。
本当に11年間、熱い声援、ありがとうございました。

当時、鹿島から浦和に来ることは禁断の移籍とも言われていました。ここにいるファン、サポーターの皆さんは、誰一人として僕が来ることを受け入れてくれなかったと思います。たくさんの手紙も届きました。『お前みたいなヤツが来るな』と、ほとんどの手紙が、そのような内容でした。それでも僕は、そういう人たちを、自分のプレーで見返してやろうと、強い気持ちで、誰よりも強い気持ちで、この浦和レッズにやって来ました。

来た1年目の時、第3節、アウェイの大分戦で、あなたたちは、僕のチャントを作り、歌ってくれました。少しでも、自分のことを認めてくれたんだと思い、本当に嬉しかったです。最後に、もう聞くことはないであろう自分のチャントを、もう一度だけ、聞かせてもらえないでしょうか。

[サポーターからチャントが送られる]
本当に、11年間ありがとうございました!

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