レッズを離れる選手について、記者が思い出を語ります。今回は、シント・トロイデンへの期限付き移籍が決まった橋岡大樹選手について。
「向上心」の塊。自主トレで身につけたプロ仕様の身体と技術
橋岡大樹という選手には「向上心」という言葉がよく似合う。
こうしたイメージになったのは日々の居残り練習にある。
「止まれ、大樹。一回、空中で止まるんだ」
池田伸康コーチが放り投げたボールを、橋岡がジャンプ一番ヘディングで返す。これを連続して行った。ずいぶん無理な指示だなと思って見ていたが、橋岡は愚直にやっていた。
日程を考慮しながら、橋岡は1年目から1週間単位でメニューを組み、自主トレに明け暮れ、プロ仕様の身体と技術を身に着けた。
その最たるものがクロスだ。当初、興梠慎三らにダメ出しされたクロスの精度が少しずつ上がっていく。
その賜物が19年10月23日、ACL準決勝第2戦・広州恒大とのアウェイ戦。50分、橋岡が右サイドから上げたクロスに興梠がゴール。これが決勝点となった。
試合後、興梠は「常々あいつには要求している。前日の練習でもずっとクロスを練習していたので」と努力を認めた。
さらに昨年8月29日、J1第13節・大分戦では30分、右サイドからのクロスにレオナルドが合わせ得点。
またセットプレーでは山中亮輔のボールを頭でそらしてゴール。「決めたのは俺だ!俺だ!俺だ!」と言わんばかりに自身を指さしながら、歓喜していたのを思い出す。
この日1ゴール1アシストの橋岡は「よくクロスの部分でも話をする。最近は僕自身もクロスが良くなっているなと思っているし、興梠選手からもたまに『クロスが徐々に良くなっている』と言われる」と顔を綻ばせた。
向上心、そして慢心の無さがいまの橋岡を作っていることは間違いない。
あとひとつ挙げるなら、タイミングの良さ。
橋岡のプロデビュー戦は18年4月4日、ルヴァンカップグループステージ第3節・広島戦。この試合は堀孝史監督の契約解除を受け、監督代行として就任した大槻毅氏の初陣となった。
大槻監督にとって橋岡は浦和ユース時代の教え子。信頼と期待に応えられると判断したはずだが、大きなミスをしてしまえばその後のキャリアに響くかもしれない。
にもかかわらず、なぜ大槻監督は橋岡を起用したのか。以前、質問を試みたが、自身の立場からか、あるいは橋岡のことを考えてか「お話しすることはできない」と断られた。
時を経て昨年末、大槻監督に聞くことができた。
端的に言えばケガ人が多く、橋岡を起用する選択肢しかなかったというのが答え。加えて、過密日程の影響も考えられる。
ちなみにこの試合で同じくプロデビューしたのが大卒ルーキー・柴戸海。その後を見据えた抜擢だったという見方もできる。
2種登録された17年から数え、リーグ74試合、公式戦96試合に出場。若手の旗手と期待された橋岡の今回の期限付き移籍。「いつかは」と思いながらも、いざ決まると新しい監督の下でもう1年浦和にいてもよかったのでは?と思う方は多いかもしれない。
覚悟と恩返しを胸に旅立つ橋岡大樹に幸あれ。
(レッズプレス!!佐藤亮太)