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REDSPRESS EYES|茂木力也、浦和に戻るまでの2年半。そして抱く、喜び以上の悲壮な覚悟|レッズプレス!!

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茂木力也、浦和に戻るまでの2年半。そして抱く、喜び以上の悲壮な覚悟

茂木力也、浦和に戻るまでの2年半。そして抱く、喜び以上の悲壮な覚悟


「浦和へ戻るためにやってきたので、自分自身、オファーをもらった時はうれしかった」

愛媛で1年、山形で1年半。この間、茂木がもっとも大きなモチベーションにしてきたのが、古巣レッズへの帰還だった。しかし、ついにその目標が叶ったはずの茂木に感じられたのは、喜び以上に悲壮な覚悟だった。

「戻ってからが本当に勝負。またスタートラインに立ったかなという気持ちはある」

愛媛ではリーグ戦33試合に出場。その多くが3バックのセンターでのプレーだった。この2年半をチームメートとして見つめてきた阪野豊史は、愛媛時代の茂木の成長をこう語っている。

「最初はフィジカル的にちょっと弱くて、愛媛時代に都倉選手(賢、札幌)とやった時にはセンターバックは厳しいのかなあと最初は思ったけど、何試合かやる中で、体ももちろん強くなったと思うけど、そういう大きい選手とのやり方も覚えてセンターバックも十分こなせるようになっていた」

翌17年の山形では、愛媛時代を上回る34試合に出場。3バックの右サイドを持ち場に、シーズン途中で4バックに変わると、ボランチやアンカーでもプレーした。

愛媛、山形での2年半、監督として常に指導してきたのが木山隆之監督。浦和で公式戦出場のなかった茂木を抜擢し、起用し続けた。

「もともとフットボーラーとしての素養は高かった。ただまだまだ子どもな部分も当然あって、でも、試合をやるごとにたくましさも出てきたし、もともと頭のいいヤツだけど、よりいろんなことが見えるようになっていると思う」

 順調にキャリアを重ねてきた茂木にとって、今シーズンは試練となった。当初、山形は攻撃的なスタイルをめざしたが、開幕から複数失点が止まらず、第6節には守備を重視する戦術に変更。4-3-3のアンカーで開幕スタメンの座をつかんだ茂木も、それ以降、茂木の出場機会は激減し、ベンチからも外れていった。

「守備の部分で一歩遅れたりとか、予測の部分の迷いというところがある」と話していたのは5月中旬。身体的なハンディを補うために身につけてきたプレーの予測だったが、いつしか判断の基準がクリアでなくなっていた。「練習を見てて僕の視野に入ってこない。いいプレーが練習からできてないと思う」。木山監督からもそんな厳しい評価を下された。


守備の改善でようやく復調の兆しが見られたタイミングで浦和への復帰となったのは、山形にとっては残念なことだった。それでも、経験も挫折も、2年半のすべてが浦和でのプレーに生かされることになるはず。

「いろいろポジションをやらせてもらったが、走って闘えない選手は試合に出れないというのは木山さんのサッカーをやってて一番思ったこと。浦和では誰よりも走って、闘うという気持ちを忘れずにやっていきたい」

文:佐藤円(エルゴラッソ山形担当)

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